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カテゴリー「cinema」の記事

2010年2月14日 (日)

COCO&IGOR

年が明けて、予想通りタフな毎日が続いている。

後厄だけに何かあるだろうと思っていたらこう来たか。

たまには、精神の平衡を取り戻さねばと、

金曜の夜の渋谷で観たかった映画を予約した。

                                              ”COCO&IGOR”

和名は、『シャネルとストラビンスキー』

途中、結末がどうなるのかと、

ふと心配になる時もあったものの、

退屈で時計を見るようなことはなかった。

ということでもわかるように、

決して悪くない映画である。

私にとって、この映画のポイントとなるシーンは

ただ一つ。

シャネル女史が、ストラビンスキーの「求め」を断る

シーンにつきる。

良い意味での完璧な自己本位。

その自己本位は、男女関係だけにとどまらない。

彼女の仕事。

彼女の住まい。

彼女のライフスタイル。

そして、彼女の選んだ、その香り。

                                                    すべてにおいて、その自己本位が貫かれている。

この映画で私の、あの店を見る目は一変した。

漱石の言う自己本位はやはりこんな意味だった

のだと納得した。

                                                        しかし、正直言うと、上品なBunkamuraで、

あそこまでの露骨な描写に途惑っていたのだが、

そのシーンの伏線だったのだとすれば、

合点が行く。

                                                 エンドロール後のワンシーンの挿入は、

私は否。

敢えて言われなくても、それまでの彼女の言動

からすれば、推して知るべしであること。

だからこそ、『春の祭典』の再演は成功したのでは

ないかと思われるからだ。

ましてやストラビンスキー本人は十分にそのことを

理解していた。

                                                      久しぶりに5番が嗅ぎたくなった。

2008年7月21日 (月)

「虹の国」への歩み

『マンデラの名もなき看守』を観て、

南アフリカについてもう少し知りたくなり、

峯陽一氏の『南アフリカ』(岩波新書473、1996)

を読んでみた。

                                                             1990年11月、本作のラストにある通り、

ネルソン・マンデラはデ・クラーク政権により、

無条件で釈放された。

その後、94年4月には暫定憲法に基づき総選挙

が実施され、ANC(アフリカ民族会議)党首である

ネルソン・マンデラが大統領に就任。

と、ここまでは、事実として知っていた。

しかしながら、当時の南アフリカにはANCと、

以前アパルトヘイトを推進していたNP(国民党)

以外にも多数の政党や政治勢力があったこと、

そしてそれらの政治勢力のバランスに配慮した

きめ細かい比例代表制が上記の暫定憲法に

盛り込まれていたとは・・・

                                                               あとはだんだん雑学っぽくなる。

南アフリカにはおいしいワインがある。

その理由は・・・

南アフリカへの当初の入植者は、「本国では

どちらかといえば下層に属する」オランダ人

であった。

しかし、オランダ人以外に少数のフランス人も

いたのだ。

「宗教弾圧を受けてオランダに亡命していた

信仰心の厚いユグノー(少数派プロテスタント)

たち」である。

まさに、彼らがフランスのワイン製造技術を

伝えたのだ。

                                                           さらに雑学。

1896年。

イギリスと、

上記の古参の白人入植者を中心として独立した

トランスヴァール共和国との間で、

いわゆる「南アフリカ戦争」(アングロ・ボーア戦争)

が勃発した。

1902年、最終的にイギリスが勝利するわけだが、

ここでわが師漱石が登場するのだ。

                                                           漱石がイギリス留学のために到着した初日の

10月29日のロンドンは、

帰還兵歓迎のパレードで大いに盛り上がっていた。

彼の日記に、

「非常ノ雑沓ニテ困却セリ」

とあるそうな。

                                                             もしかすると、

異国の地ロンドンで彼が感じたその困却は、

ロンドン滞在中ずっと続いていたのかもしれない。

それだけではない。

そこで感じた困却こそがその後の執筆活動の

大きなエネルギー源の一つになっていたの

かもしれない。

                                                         その後日本は1904年から日露戦争に突入した。

その戦争で難民化した中国東北地方の人々は

南アフリカへ移住、金鉱会社で働くこととなった。

                                                               そう。

1867年には、「永遠の輝きを持つ」良質なダイヤモンド

鉱脈が発見されていたのである。

                                                                      さらに時代は進み、既に1930代には、

日本人に対して「名誉白人」の地位が与えられていた。

南アフリカはダイヤモンドだけではなく、

マンガンやクロム等の希少金属も豊富である。

アパルトヘイト時代、わが国は上記「NP政府と密接な

関係を維持してきた」ことも再確認しておこう。

                                                           そして、

マンデラの看守でありながら、

家族も守りながら、

自分の目で真実を知ろうとし、

職務を全うしたジェームズ・グレゴリーの視点

を改めて思い出そう。

2008年7月20日 (日)

マンデラの名もなき看守

送別会。引継ぎ。挨拶回り。引越し。

既に本格的に始まった新しい業務。

毎度のことではあるが、忙しい。

                                                             さておき、6月に観た映画について。

邦題は『マンデラの名もなき看守』。

                                                           ビレ・アウグスト監督が

「本作で最も重視したのは、信憑性」。

という言葉を信じれば、

一般的なマスコミの報道を元にしか知らない

ネルソン・マンデラという人物がより具体性を

持った人物になることはこういう映画の効用である。

(勿論、それだけに引き摺られてはいけないが・・・)

                                                            さて、本作の主人公はあくまで、マンデラの看守

であるジェームズ・グレゴリーである。

そういう意味で、本作はアパルトヘイトの

実施主体側の視点で作られた映画である。

                                                               本作に関しては、アパルトヘイトにおける

主体の側の残虐非道な行いの描き方が少ない

と言う方もおられるようだが、

私はそうは思わない。

むしろ、一番描きたいことを直接的に描かないで

一番描きたいことを描いている。

そういう映画だと思うのだ。

                                                                 例えれば、第二次世界大戦直前に、

ジャン・ルノワールが撮った『ゲームの規則』。

そこには、戦争のせの字もなく、

「野蛮で残酷な遊び」である狩猟会で逃げ惑う

動物と、それを、楽しみながら執拗に追う人間

の姿があるのみだ。

                                                           そういう意味において、本作の監督の手法は

評価できるし、

看守を演じたジョセフ・ファインズと、

看守の妻を演じたダイアン・クルーガーの好演には

拍手を送るべきだと思った。

(ダイアンは昨年観た『敬愛なるベートーベン』の

印象が強くてダブってしまったが・・・)

もちろん、マンデラ役のデニス・ヘイスバートの

抑制的な演技と役作りにも感服した。

                                                           ある主体が憎しみを作りだせば、

その主体の側中でも新たな憎しみと懺悔が

生み出される。

(看守の息子は謎の交通事故死を遂げる一方、

看守は検閲官として把握した情報を公安へつないだ

ことに強い自責の念にとらわれる)

                                                                それに関して、マンデラが、

過去の憎しみや懺悔の念に囚われていては

将来が開けない。

一旦忘れて前を向いていくのだ、

というようなことを、看守を諭すが如く

言う場面がとても印象的であった。

                                                             「虹の国」を目指すために。

2008年6月16日 (月)

MAY 18

もう一つ。

1956年のハンガリーに続き、

詳しく知ることはないことであった。

                                                           その当時、私は中学2年生。

かすかに、その頃の私には聞き慣れない、

「非常戒厳令」。

という言葉の記憶がかすかに残っている。

何かコワいことが起きている、

というくらいの記憶しかない。

むしろ、モスクワ五輪のボイコット。

米国でやけに明るい大統領が選ばれたなぁ。

という記憶の方がより鮮明である。

                                                            そういう意味では、

今さらながら、

まさに「近くて遠い国」であったのだな、と思う。

(*1)

                                                              しかし、一般市民が自らの尊厳を守るために

立ち上がる所は、ハンガリーと同じでも、

根本的な構造は大きく異なるようだ。

どちらかといえば、この518は、

元大統領の私欲のための弾圧に端を発している

と言えよう。

北に対して、自分を中心に一致団結するための

弾圧であったのだ。

                                                            今回の映画でも、

話の機軸の一つは、ともに戦う若い男女であるが、

そこに一貫して安定感と真実味を加えていたのは、

むしろ、元空挺特別部隊予備役大佐で、

今はタクシー会社の社長である

パク・フンスの役割設定と、

それを見事に演じたアン・ソンギである。

                                                            市民部隊をまとめるパクは、

米国の空母が来たり、

ニュークタイムズが事件を一面で取り上げたことに

対して、

助け舟が来た、とお祭り騒ぎになりかける部隊に

冷静になれ、と諭す。

ここは米国や国連の助けを信じた、

というか、信じざるをえなかったハンガリーの場合

とは若干違うようだ。

(あくまで映画の中でのことだが・・・)

                                                          むしろ、それでも、両方の市民ともに、

戦わざるを得なかった。

大切なものを守るために戦わざるを得なかったのだ。

きっとそれこそが、

こういうことに共通する本質なのであろう。

                                                              『光州5・18』を観た。

                                                       (*1)まさに、村田晃嗣先生(同志社大)が、

「当時の韓国はしばしば独裁国家と形容され、

そのイメージは今日の北朝鮮並みに暗かった」

(『プレイバック1980年代』文春新書、2006)と

表現されている通りである。

2008年5月24日 (土)

事実を知ることから初めてもよいではないか。

私が生まれた年から12年前の1956年。

現実に、このようなことが起きていたとは。。。

もちろん、高校の世界史で得た最低限の知識は

あった。

ある程度の想像もしていたが、

地理的にもなかなか関心が及びづらい地域でも

あった。

ハンガリーでの「反ソ暴動」、

否、「56年の闘い」である。

                                                          映画ではあるが、徹底した時代考証がなされ、

戦車と銃にに蹂躙されたブタペストの街並みが

極めて現実に近い形で再現されたそうである。

                                                              街並みだけではない。

火焔にまみれて最期を遂げる女性の姿も

そのように、丁寧に再現されていた。

                                                               一方、情けないが初めて知った現実があった。

ブタペストで建物や人が蹂躙されていた頃、

オリンピックの開かれていたメルボルンでは、

ハンガリーの水球チームが、

ソ連と血みどろの戦いを繰り広げていたのだ。

その戦いは文字通り、血が流れた戦いであり、

ハンガリーが4対0で優勢の中、

ハンガリーのスター選手、エルヴィン・ザドルが

ソ連の選手によって殴りつけられ、

右目下から出血。

場内は観客と警官隊が入り乱れて騒然となった。

                                                              その写真は世界中に流れたというから、

私の両親等は実体験として、

覚えているのかもしれない。

                                                             もうひとつ驚きだったのは、

この事件について、ハンガリーの学校では、

反革命運動であると教えられていたことであり、

事実について公にされたのは、

1989年の共和国宣言の時だったということ。

(本作 公式パンフレットより)

                                                              そういう意味では、私の知識も、恥ずかしい話

たいしたものではなかった。

                                                               高校時代の世界史の教科書を引っ張り出して

みた。

「東欧では、1956年フルシチョフがスターリン時代

の粛清や個人崇拝の誤りを批判すると、

ポーランドのポズナニで自由化を求める労働者

暴動がおこり、

ついでハンガリーではブタペストの反ソ暴動が

全国に広がり、

ソ連軍が介入してこれを鎮圧した」

(新世界史 山川出版社1985)

                                                           本作については、

映画としてどうかという観点からの評価も様々ある

ようであるが、

まずは事実を知ることから始めてもよいではないか。

                                                               神戸、湊川公園の映画館にて、

君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956

を観て記す。

2008年5月21日 (水)

ライラックの小枝

ここ最近、ふと気付くと、ラフマニノフの

「ヴォカリーズ」が頭の中で流れている。

先々週、森麻季さんの歌声で聴いてからは、

なおさらである。

この曲は1915年、第一次世界大戦勃発直後、

ロシア革命の前夜に完成された。

                                                                    本編の中で、この曲は、ラフマニノフが従妹の

ナターシャとともに生家を訪れた折、

室内に放置されたピアノで弾かれる。

この曲を弾きながら、彼はナターシャにプロポーズ

する。

私がナターシャなら、本当に溶けてしまいそう。

                                                             よけいなことはさておき、

パーヴェル・ルンギン監督の

ラフマニノブ ある愛の調べ」を梅田ブルク7で

観てきた。

                                                            監督は、本作があくまで「芸術的創作であり、

史実とは異なる表現も含まれる」ことを強調して

いるが、監督はむしろ、「ラフマニノフの愛、

絶望、恐れ、子供時代の思い出、つまり内面世界

を描くこと」に徹したという。

                                                             久々に、本ブログでボウルビー(Bowlby)を登場

させよう。

彼は、愛着行動が大人にもあるはずだと

唱えていたわけであるが(2007-12-29記事参照)、

エディットピアフにとって、歌うことが「柔らかい布」

であったように(2007-11-3記事参照)

「坊っちゃん」にとって、清がそういう存在であった

ように(2007-10-27記事参照)、

ラフマニノフにとっての「柔らかい布」が何であった

のか。

それが本作の大きなポイントとなっているように

思えた。

                                                                 彼は、上級将校を父にもつ家庭で育ったが、

一家は破産。

恐ろしい夫婦喧嘩をピアノの下に隠れ、

泣きながら耐え忍んだ。

その時いつも横に居てくれたのは従妹の

ナターシャ。

彼女とともによく遊んだ場所には、

ライラックの花が咲き誇っていた。

                                                            恩師スヴェレフの強行な反対を押し切って

飛び込んだ作曲の道。

しかし、その時期に虜になってしまった大人の

女性「A.L.」に捧げた「交響曲第一番」は、

酷評されて、彼女もラフマニノフから

離れて行った。

失意のどん底に落ち、心の病になってしまう

彼を救ったのは成人になっていたナターシャ

であった。

そして、「ピアノ協奏曲第二番」が完成し、

大成功を収めた。

                                                            ロシア革命後、アメリカへ亡命してからは

生活のため、演奏旅行に明け暮れた。

映画の中では、機関車の疾走する映像と

ともにラフマニノフの曲が流れていたが、

まさにそこには、tristesse allante、

「疾走する悲しさ」が宿っていた。

やってられないと腐りかけているところに

届いたのはライラックの花束。

この花の香りをかぐだけで、見違えるように

復活してしまう。

いつの間にか、誰からかわからないが、

彼の演奏会には必ずライラックの花束が

届けられるようになっていたのだ。

                                                     いつの日か、ライラックの花束を横において

ラフマニノフの曲に聴き入ってみたいと思った。

                                                              本作、ロシア原題は「ライラックの小枝」である。

2008年1月23日 (水)

地軸の傾きを元に戻すな。

2008年、最初の映画は『アース(earth)』となった。

圧巻のシーンを少し覚え書き。

                                                      炎天下の砂漠を体力の限界ぎりぎりまで歩き、

やっと見つけた水場で対峙する象の群れと

ライオンの群れ。

昼間は体の大きい象の勝ち。

しかし、日が落ちれば、夜間視力に勝るライオン

が有利となる。

ところが、象たちは子どもを真ん中に集め、

ライオンの攻撃から必死に守る。

さすがのライオンもこれでは手を出せない。

しかし、空腹のライオンは決してあきらめない。

なんと、数匹の集団でおとなの象一頭に的

を絞って攻め始めたのだ。

後ろから象に飛びかかり、

噛み付いて絶対に離れないライオン。

その周囲から何頭ものライオンが食い下がる。

そういう中を、必死に逃げようとする

その象の姿は、弁慶の大往生を彷彿とさせる

ものがあった。

                                                               場面は変わる。

オスのホッキョクグマは、氷が張る期間が以前

より短くなっていることから、

氷上の獲物を狙うことがとても難しくなっている。

氷がなかなかない北極の海を泳ぐホッキョクグマ。

既に体重は半減している。

やっと見つけたセイウチのコロニー。

しかし、セイウチは大きな牙をもっており、

餓死寸前のホッキョクグマくらいしか狙わない

ものだという。

極限状態の中にも拘わらず、

果敢に攻めるホッキョクグマ。

応戦するセイウチ。

やはり疲れているのか、最後の力が振り絞れない

ホッキョクグマは、結局セイウチのコロニーの前で

疲れ果て永遠の眠りについてしまった。

                                                             アル・ゴアの『不都合な真実』では、

氷のない北極海を泳ぐホッキョクグマの姿が

アニメーションで描かれていたが、

今回は実写である。

                                                             50万年前に地球は隕石と衝突し、月が生まれ、

地軸の23.5度の傾きを手に入れた。

この見えざる手により、

地球には、豊かな四季の移ろいを生じ、

多様な環境で生きる多様な動植物が住める星

となった。

                                                              同じスタッフによる前回作に比べれば

明らかに今回作品はよりメッセージ性が強い

ものとなっている。

敢えてそういうようにした背景には、

スタッフが現場で見て肌で感じた危機意識が

大きく働いているように思えてならない。

                                                             我々人間は、見えざる手により形作られた、

地軸の傾きを元に戻そうとしているのだろうか。

                                                                本作によれば、

このまま温暖化が進行すると、

ホッキョクグマは2030年には絶滅する。

2007年12月19日 (水)

Mary and Joseph 

日曜日に、映画「マリア」を観た。

彼女とその夫であるヨセフの、

婚約、受胎告知、圧政からの逃亡、そして出産

までの物語である。

                                                            100分はあっという間に過ぎた。

しかし、これはマリアの出産とイエスの誕生に

だけ関わる物語なのであろうか。

受胎告知のような突然さはないにしても、

出産までの苦悩というものは、

なんらかの形ですべての親が経験するものである。

そういう両親の「不退転の決意」というものが

今回の映画のテーマの一つなのであろう。

                                                             クリスマスを前にして、

町の雰囲気もなんだかウキウキした気分に

なっているが、

その日に至るまでの一人の親の苦悩に

思いを馳せ、

自分が今ここに生きていることに感謝する

のもまた必要なことなのだ。

                                                             この映画を観て、クリスマスこそ、

「母の日」にしたらよいのではないかと思った。

いや、違うかな。

「親の日」の方が良さそうだ。

2007年11月 3日 (土)

edith piaf

悲しすぎる。

あまりにも悲しすぎる映画であった。

                                                           『エディット・ピアフ 愛の賛歌』である。

この映画を貫くテーマは、「人間の孤独さ」では

ないかと思った。

                                                             彼女は、幼い頃、父の実家である娼館に

預けられる。

そこには、本当の母親のように優しく接してくれた

娼婦がいた。

しかし、再び父が連れ戻しにやってきて、

二人を引き裂く。

                                                            死の直前の回想シーンで明らかになるが、

16歳の時には出産。

2年後にその子は死亡。

                                                            街角で歌っているところを、

キャバレーのオーナーであるルイ・ルプレに

見いだされ脚光を浴びたが、

信頼していた彼は翌年に暗殺された。

しかも、彼女はその容疑者と疑われ、

マスコミからも総叩きに遭う。

                                                         大人になった彼女は、家庭のあるモロッコ人

ボクサー、マルセル・セルダンと恋に落ちた。

遠くにいる彼に、すぐに会いたいから飛行機

で来てとせがみ、彼もそうしたが、

その飛行機は落ちた。

                                                             ホテルでの公演中、歌いながら倒れた彼女は

舞台に戻ると言ってきかない。

歌っていなければ自分ではない、と。

                                                         彼女はいつの頃からか、酒と麻薬に溺れていた。

歌っていない時の自分を維持するためには、

それしか方法がなかったのであろう。

                                                          2007-10-27の記事で、ボウルビー(Bowlby)の

愛着理論について触れたが、

彼女にとっての「柔らかい布」は、

自分が歌うことの中にあったのかもしれない。

                                                            先般、テレビで、出産直後に母親によって育児

放棄された小さくて、ピンク色の肌がむき出しの

赤ちゃんパンダが、断末魔の叫び声のように

鳴き叫ぶシーンが放映されていた。                    

                                                    その鳴き声とピアフの歌声がオーバーラップして

しまった。

                                                            人は、誰しも、何かから引き離される不安を、

常に胸に抱えながら生きている。

その不安は大いなる痛みである。

人は、その痛みを、自分なりのやり方で、

受け入れ、浄化しながら生きていかなければ

ならない存在なのだろう。

                                                                 映画の中で、浜辺で趣味の編み物をしている

ピアフがインタビューを受けるシーンがあった。

                                                          「ピアフさんはなぜ編み物をするのですか?」

                                                          「どこかに着てくれる人がいるはずと信じて

いるからよ・・・」

2007年8月 8日 (水)

white light / black rain

8/7(火)夜。

映画「ヒロシマ・ナガサキ」。

何も書けない。

以上

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