2011年7月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

カテゴリー「音楽」の記事

2010年2月14日 (日)

COCO&IGOR

年が明けて、予想通りタフな毎日が続いている。

後厄だけに何かあるだろうと思っていたらこう来たか。

たまには、精神の平衡を取り戻さねばと、

金曜の夜の渋谷で観たかった映画を予約した。

                                              ”COCO&IGOR”

和名は、『シャネルとストラビンスキー』

途中、結末がどうなるのかと、

ふと心配になる時もあったものの、

退屈で時計を見るようなことはなかった。

ということでもわかるように、

決して悪くない映画である。

私にとって、この映画のポイントとなるシーンは

ただ一つ。

シャネル女史が、ストラビンスキーの「求め」を断る

シーンにつきる。

良い意味での完璧な自己本位。

その自己本位は、男女関係だけにとどまらない。

彼女の仕事。

彼女の住まい。

彼女のライフスタイル。

そして、彼女の選んだ、その香り。

                                                    すべてにおいて、その自己本位が貫かれている。

この映画で私の、あの店を見る目は一変した。

漱石の言う自己本位はやはりこんな意味だった

のだと納得した。

                                                        しかし、正直言うと、上品なBunkamuraで、

あそこまでの露骨な描写に途惑っていたのだが、

そのシーンの伏線だったのだとすれば、

合点が行く。

                                                 エンドロール後のワンシーンの挿入は、

私は否。

敢えて言われなくても、それまでの彼女の言動

からすれば、推して知るべしであること。

だからこそ、『春の祭典』の再演は成功したのでは

ないかと思われるからだ。

ましてやストラビンスキー本人は十分にそのことを

理解していた。

                                                      久しぶりに5番が嗅ぎたくなった。

2009年12月 6日 (日)

Miyaさんのフルート

立ち寄った新宿のタワレコのJAZZコーナーで

フルーティストであるMIYAさんのCDが目に止まり、

一曲目の「椰子の実」を視聴した。

いいなぁ、と思っていたら、

発売記念ライブがあるという。

                                                  12/3(木)の夜、しとしとと雨のふる中、

新宿Pit innへ。

CD発売記念ライブということもあり、

Miyaさんは緊張している感じもあった。

しかし、時間が経つに連れて、その緊張感は、

とても自然体な感じに変わって行った。

                                                 まわりをびしっと固める、ピアノのスガダイローさん、

ギターの渥美幸裕さん、そしてドラムの外山明さんらの

少しクセあり玄人系な感じに、

Miyaさんの自然体は負けることなく調和していた。

                                                           とにかく、彼女がフルートを吹いている姿はとても楽しそう。

笑っているように見える。

いや、本当に笑っているのかもしれないが。

そういう自然体で若干はにかみ系な感じが、

一見、いわゆるジャズのセッションには合わない気もする

のだが、実はそうでもないところが面白い。

                                                   彼女はイギリスと日本のハーフである。

私の席の隣には、日本人のお父様がいらっしゃった。

その奥には、イギリス人のお母様。

そして、その後ろにはお母様のお友達とおぼしき皆さん。

そういうことも、今回のセッションをどこか、

ハートウォーミングな雰囲気にしていたのかもしれない。

                                                 CDも頂いて聴いてみたが、

やはりJAZZはライブに限る。

来年になると思うけど、

また彼女のライブに顔を出してみたいと思った。

                                                一方で、仕事でいくつか動きがあるので、

次回、Miyaさんのフルートの音色を聴くときに、

それらがどんな状況になっているのか、

とても想像はつかない。

しかし、仕事だって、インプロ(即興)を楽しめばよい。

もちろん苦しみも多いけど、なんとかなるだろう。

苦しい時には、MiyaさんのCDを聴いて。

                                                そのCDは、「Oriental Sun」(T&Kエンタテイメント)。

2008年6月21日 (土)

四川大地震チャリティコンサート

6/21(土)。

朝7時半の小倉発の新幹線で大阪へ戻ってきた。

少し休憩して、目指すは西宮北口。

長く心待ちにしていた、佐渡裕さんプロデュースの

『メリー・ウィドウ』の幕が開く。

                                                            と、今日はここまでにしておこう。

詳細の感想は、公演期間が始まったばかりなので、

しばらくお預けとする。

                                                           ところで、先日の兵庫芸術文化センター管弦楽団

の定期演奏会のプレトークで佐渡さんから紹介の

あった、

四川大地震のためのチャリティコンサートの詳細

が以下の通り決まったので記します。

                                                                *日時:8月4日(月)14:00開演

*場所:兵庫県立芸術文化センター 大ホール

*題名:四川大地震 心のチャリティコンサート

     兵庫から四川へ

                                                          そのプレトークで、佐渡さんは言っていた。

「心の復興こそが大事なんです」と。

                           以上

2008年6月14日 (土)

PAC 第17回定期演奏会

先週の金曜日のこと。

まさか本当に行けるとは思っていなかった。

週明けには重要な意思決定の会議がある。

一生懸命準備はした。

とはいえ、過去の経験から言えば、、、

                                                           午後に入り、だんだんと行ける可能性が高まり

始めた。

それと同時に、頭の中で音が鳴り始めていた。

カッコーの鳴き声のような軽快な感じの第一楽章。

力強さを増す第二楽章。

葬列の場面を描いたと言われている第三楽章。

烈しく荒ぶる第四楽章。

面白いことに、意識しているわけではないのに、

あの曲の旋律が次々と私の頭の中を駆け巡る。

                                                             終業時間が近づくにつれ、

行ける可能性がどんどんと高まる。

終業間際。

改めてボスに確認。

                                                           「よし、これで行こう。」

「はいっ。」

もうその時点で、私の頭の中では、

第四楽章のクライマックスが鳴り響く。

                                                     終業時間となった。

                                                              週明けの出張の用意を整えて、

阪急神戸線で西宮北口を目指す。

既に見慣れた木のぬくもりがいっぱいの

劇場が見えてきた。

精神的な緊張を強いられる一週間であったため

とにかく開放感に浸りたい。

ホールバーでビールを注文。

うまいなぁ~と飲んでいると、

佐渡さんがプレトークをするとのアナウンスが。

ビールを飲み込み、慌てて席につく。

                                                          佐渡さんの登場。

生でお目にかかるのは三回目。

四川の地震のためのチャリティコンサートを

8月に開催したいとのアナウンス。

即座に客席から拍手が沸き起こる。

この劇場において、その意味は深い。

佐渡さんの目頭も若干熱くなっていた。

そして、今回の曲目。

バーンスタインの『セレナード』と、

マーラーの『交響曲第一番』について

丁寧に解説をしてくれた。

                                                           数分後に演奏が始まった。

                                                              舞台の木材の香りがする。

演奏する皆さんの息遣いが聞こえる。

楽譜をめくる音も。

たまには、なにかが落ちたりする。

そして、指揮者の佐渡さんのうなり声。

ちょっと、それはうなり過ぎでしょ。

と、イエローカードを出したくなるくらいうなる。

                                                        セレナードの演奏は、とても丁寧。

メリハリがすごい。

聴く者からしても、一瞬たりとも緊張感が抜ける

ことがないくらいの丁寧な演奏。

とはいえ、後半のジャズっぽくなる部分では

つい体を揺らしてしまうほど、超jazzy!

Bravi!

                                                                休憩を挟んでいよいよ、私の大好きな曲が

始まった。

引き続き、丁寧な丁寧な演奏。

これが良いのだ。

基本に忠実であることこそ王道だ。

                                                 クライマックスに近づく。

雷鳴だ。

目の間に落ちる雷鳴だ。

先日の夜中。

大阪地方はとてつもない雷雨であった。

私の住んでいる13階からは目の前にどんどん

落ちる。

自分のマンションにも落ちた。

                                                                  しかし、今日の演奏の方が烈しい。

実物よりも烈しい。

                                                              えっ、もう終わり?

                                                               兵庫芸術文化センター管弦楽団(PAC)の皆さんの

がんばりに感謝するしかない。

ひたすら拍手を送るしかない。

お一人お一人が、

とてもすばらしい演奏でした!

                                                     最期に、私の座席は、

A列16番。

一番前のど真ん中少し左である。

こういう場所でしか体験できないこともある。

                                                           私が最初に本格的なコンサートホールで聴いた

のもマーラーの一番であった。

平成3年の秋のサントリーホール。

ケルン放送交響楽団。

ベルティーニさんの指揮であった。

                                                             そこには、興奮のあまり、熊本の実家の両親に

電話せざるにおれない私がいた。

就活の汗がしみ込んだ、まだまだ慣れない

スーツを着ていた私であった。

                                                                もう、あれから17年。

今日もスーツを着て聴いていた。

2008年5月13日 (火)

母の日に。

雨は上がった。

開演まで時間があるので、

下鴨本通のCaffe Verdiさんで、

下鴨ブレンドとビーフパストラミのホットサンドを

頂いた。

こちらのコーヒーには、宝石の輝きを思わせる

繊細さがある。

ホットサンドイッチは包みこまれた肉汁と

温められたトマトの汁が渾然一体となって

口の中で踊り出す。

この予定調和がたまらない。

                                                               いやいや、残念ながら、

今日はいつものように、

ここでゆっくりしているわけにはいかないのだ。

京都コンサートホールへと向かう。

                                                             半年ぶりに、森麻季さんの歌声を聴いた。

2階席前方で距離も近い。

                                                                 その声は、

まろやかさを増していた。

深みも増していた。

大地のような、安定感も。

                                                             もちろん、森さん独特の澄み切った、

清らかさも残しつつ。

                                                             しかし、 ここまで変わるものか。

                                                              曲がどんどん進んでいく。

特に今回は、マーラーの4番「天上の生活」と、

ラフマニノフの「ヴォカリーズ 作品34-14」に

聴きほれた。

聴くことに没頭しつつも、

時間が進むことを止めたくなる衝動にかられる。

                                                             今日は、5月11日。

母の日である。

森さんにとっては、初めての母の日なのだ。

そして、

今日の演奏は独唱ではなかったのだ。

新しい命とともに紡いだ合唱だったのである。

                                                             ホールを出て、北山を吹く風はとても心地よかった。

2008年3月15日 (土)

疾走する悲しさ

小林秀雄先輩の『モオツァルト』(新潮文庫1487)

を読んだ。

                                                            先輩が、お若い頃、道頓堀をうろついていた時、

頭の中で、突然交響曲第40番(K.550)が

鳴り響いた。

                                                 きっとそれは偶然のことではなかったのだと思う。

その時に先輩が道頓堀のあの独特の喧騒の中

で感じた何かと、

その曲を以前聞いた時の感じに、

どこか共通するものがあったからなのではないか

と思うのである。

                                                                 先輩は、絵画について、同じ文庫本の『偶像崇拝』

の中で、

「絵の好きな人は、絵の作用に応じて、私達の

なかに、血行とか消化とかに似た様な、

黙しているが確実な或る精神の機能が働くのを

知っている。」

と書いているが、

これは音楽でも同じことではないかと思う。

一度聴いた音楽は、脳内の奥深くに沈殿する。

そして、何らかの経験を契機として、

再び表に現れるのだ。

                                                             さらに、先輩は、モーツアルトの音楽の根底

を流れるものについて、

スタンダールの言う、tristesse(悲しさ)に、

ゲオンの言う、tristesse allante(疾走する悲しさ)

に言及する。

                                                               先輩は、その事例として、

『弦楽五重奏曲 第4番 ト短調 K.516』

を挙げているが、

私はいかにも悲しさよぎるそういう曲よりもむしろ、

『魔笛』や『羊飼いの王様(牧人の王)』の

overture(序曲)や、『ジュピター(交響曲第41番)

のような、楽しさやわくわく感の奥底に流れている

「切なさ」をそのように感じていた。

                                                              先輩は、

「モオツァルトの作品の、殆どすべてのものは、

世間の愚劣な偶然な或は不正な要求に応じ、

あわただしい心労のうちに成ったもの」

であり、

モオツァルトのような強い精神の持ち主にとって、

「悪い環境も、やはりあるが儘の環境であって、

そこに何一つ欠けている処も、不足しているもの

もありはしない」

という。

モオツァルトには、

「外的必然をやがて内的必然と観ずる能力が

備わっている」というのだ。

                                                             そのために「大切なのは目的地ではない、

現に歩いているその歩き方である」。

そういう意味で、

「モオツァルトは、歩き方の達人であった」。

                                                            その結果、彼の作品には、

tistesse allanteを感じるのではないか。

                                                                 先輩はそういうことを仰りたかったのでしょうか。

                                                          私自身も、2月以来疾走を続けている。

そこに悲しさが宿っているかどうかは

知ったことではない。

                                                           後で振り返った時にどう思えるのか。

それもまた、今は知ったことではない。

2008年1月 4日 (金)

横須賀で買った音楽の福袋

年が明けた。

寒さ厳しき田舎の茶の間でウィーンフィルの

ニューイヤーコンサートをテレビで観たが、

なぜかしっくり来なかった。

                                                     1/2(水)午前には東京へ移動。

その日に、初詣は近所の神社で済ませた。

さて、1/3(木)をどう過ごそうか。

福袋買うのも楽しいけど少し違う。

寝正月はもういい。

やっぱり、ヨハン・シュトラウスのあの躍動感

溢れるリズムが頭から離れない。

そうだ、ウイーン、行こう。

行けるかい!

                                                              と、そんな時の救世主を大発見。

サンドロ・クトウレーロ氏率いる、

ウィンナー・ワルツ・オーケストラ日本公演だ。

1/3(木)は、よこすか芸術劇場で16:00開演。

前日にネットで予約し、海軍の街、横須賀へ。

057

                                                            内容は、ワルツあり、ポルカあり、バレエあり、

ソプラノのペトラ・ハルパー=ケーニックさんによる

アリアありと盛りだくさん。

出演者の皆さんもニューイヤーコンサートだけに

適度に力が抜けててよろしい。

ウイーン風バレエも、硬軟織り交ぜながら、

正月らしさに彩りを添えてくれる。

観客も拍手で参加できる箇所もあり、

演奏者の皆さんと一緒に楽しめた。

特に、ソプラノのペトラさんは急遽の代役だった

そうだが、『ロミオとジュリエット』、

「私は夢に行きたい」の超高音部分ではじっくりと

聞かせてくれた。

そして、指揮のサンドロ・クトウレーロ氏が、

イタリア人らしいエンターテナーぶりを十二分に

発揮してくれた。

                                                                もちろん、コストパフォーマンスも申し分ない。

                                                            帰り道、福袋を沢山抱えた人達を見かけたが、

楽しい気分になれる音楽が沢山詰まった、

こういう福袋もまたよしである。

2007年12月27日 (木)

Kumi Hara's live information 2007

原久美さんから、ライブのお知らせを頂いた。

彼女の伸びやかですがすがしい歌声は

年末金曜の午後の丸の内によく似合うはず。

行けないのがとても残念。

                                                    Kumi Hara solo live2007の締めくくりは明日!

皆さん、どうぞ仕事納めのあとゆったりとライブを

お楽しみください!

いろいろな意味で最も充実した2007年。

それにふさわしい、ソロパーフォーマンスを

お届けします!

2007年 12月 28日 (金)

14:30 ~ & 16:30~各30分

at 丸ビル1F marucube (open space)

パーソナルモビリティi-REAL

TOYOTA i-Team

入場無料

Kumi Hara

http://www008.upp.so-net.ne.jp/kumihara/
joiarara@abox4.so-net.ne.jp

2007年12月 1日 (土)

踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ

11月21日にリリースされた、森麻季さんのCD、

『PIE JESU』をタワレコで視聴して、

体の中に強い電流が流れた。

                                                 1曲目が、私の大好きな、モーツアルトの

「Exsultate,jubilate,K.165」であったのだ。

この曲は、数年前の朝日カルチャーの講座で

茂木健一郎先生から教えて頂いて以来、

すっかりハマってしまって、

何人かのソプラノの方のCDを聴いてきたのだが、

森さんのそれは、私の脳細胞にとても気持ちよく

じんわりと浸み込んできたのである。

                                                           そして、今日。12月1日(土)。

生で森麻季さんの声に触れることができた。

しかも、「Exsultate,jubilate」を、である。

                                                               通常、外国のソプラノの方がこの曲を歌う場合、

まさに光輝くような感じで、アゲアゲ風の賛美歌

のようになってしまう場合が多い。

そりゃあ、題名が『喜べ踊れ、幸いなる魂よ』という

くらいだから、もちろんそれでよいのだけど、

森さんは、そのアゲアゲの底に隠れている

「切なさのようなもの」まで含めて歌い込んでいる

ところが見事だと思った。

                                                            確かに、そのCDに森さんは書いている。

「たくさんの方が犠牲になった歴史があったから

こそ、今私たちがこうして、平穏な暮らしができる

ことを重く受け止め、平和に心から感謝しつつ。

そして、今なお、世界では戦争は終わらないという、

恐ろしい現実。

そんな世の中が、平和と命を大切にする世の中

へと変わるように、心より祈りを込めて。」

                                                       さて、今日の演奏は本当に素晴らしかった。

突然変なことを書くが、

森さんは容姿麗しい方である。

それだけに、目を開けていると、情けないかな、

音を聴くことがおろそかになってしまう。

そんな修行の足らない私は、

目をつぶって聴いていることが多かったけれども、

森さんの歌声は、私の脳細胞にやさしく、

しっとりと、深遠まで浸透していった。

                                                           事前に、森さんのドイツリートは秀逸、

ということも聞いていたので、

そこにも注目していたが、

然り。

一語一語、丁寧に丁寧に発音されていることが

素人の私にもよくわかった。

                                                              プログラムもたまらない。

ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」。

バッハの「アヴェ・マリア」と

「主よ、人の望みの喜びよ」などなど。

どれも森さんの声を聴いて見たい歌曲ばかりである。

                                                           そして、忘れてならないのは、指揮のヘルムート・

ブラウニー氏と、ドレスデン歌劇場室内管弦楽団の

皆さんの、細かい糸を紡ぐように丁寧な演奏である。

特に、出色であったのは、

ファゴットのエリック・ライケ氏。

モーツアルトの「ファゴット協奏曲 変ロ長調 K.191」

での演奏はスタンディングで拍手したかったほど

良かった。

                                                                最後に、アンコールで演奏者がひとりずつ、

ふっと楽屋へ消えていく演出も見事。

                                                              辛口のきりりと冷えた上品なドイツワインと

同様のうまい日本酒をじっくりと堪能した。

そんな、よい演奏会でありました。

Bravi!

2007年11月 3日 (土)

edith piaf

悲しすぎる。

あまりにも悲しすぎる映画であった。

                                                           『エディット・ピアフ 愛の賛歌』である。

この映画を貫くテーマは、「人間の孤独さ」では

ないかと思った。

                                                             彼女は、幼い頃、父の実家である娼館に

預けられる。

そこには、本当の母親のように優しく接してくれた

娼婦がいた。

しかし、再び父が連れ戻しにやってきて、

二人を引き裂く。

                                                            死の直前の回想シーンで明らかになるが、

16歳の時には出産。

2年後にその子は死亡。

                                                            街角で歌っているところを、

キャバレーのオーナーであるルイ・ルプレに

見いだされ脚光を浴びたが、

信頼していた彼は翌年に暗殺された。

しかも、彼女はその容疑者と疑われ、

マスコミからも総叩きに遭う。

                                                         大人になった彼女は、家庭のあるモロッコ人

ボクサー、マルセル・セルダンと恋に落ちた。

遠くにいる彼に、すぐに会いたいから飛行機

で来てとせがみ、彼もそうしたが、

その飛行機は落ちた。

                                                             ホテルでの公演中、歌いながら倒れた彼女は

舞台に戻ると言ってきかない。

歌っていなければ自分ではない、と。

                                                         彼女はいつの頃からか、酒と麻薬に溺れていた。

歌っていない時の自分を維持するためには、

それしか方法がなかったのであろう。

                                                          2007-10-27の記事で、ボウルビー(Bowlby)の

愛着理論について触れたが、

彼女にとっての「柔らかい布」は、

自分が歌うことの中にあったのかもしれない。

                                                            先般、テレビで、出産直後に母親によって育児

放棄された小さくて、ピンク色の肌がむき出しの

赤ちゃんパンダが、断末魔の叫び声のように

鳴き叫ぶシーンが放映されていた。                    

                                                    その鳴き声とピアフの歌声がオーバーラップして

しまった。

                                                            人は、誰しも、何かから引き離される不安を、

常に胸に抱えながら生きている。

その不安は大いなる痛みである。

人は、その痛みを、自分なりのやり方で、

受け入れ、浄化しながら生きていかなければ

ならない存在なのだろう。

                                                                 映画の中で、浜辺で趣味の編み物をしている

ピアフがインタビューを受けるシーンがあった。

                                                          「ピアフさんはなぜ編み物をするのですか?」

                                                          「どこかに着てくれる人がいるはずと信じて

いるからよ・・・」