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カテゴリー「旅行・地域」の記事

2009年11月14日 (土)

纆向遺跡を歩いた。

11月7日(土)。

奈良は暑かった。

11月とは思えない日差しが肌を刺す。

某社社長を隊長とする、歴史を歩こうツアーも

第6回を迎える。

今回のテーマは、邪馬台国近畿説で今話題の

巻向(纆向)遺跡である。

                                                  JR柳本駅で降りて、まずは黒塚古墳へ。

きれいな前方後円墳である。

宮内庁の管轄ではないので、その上に直接登れる。

登ってみると、確かに後円の傾斜を体感できた。

隣接する天理市黒塚古墳展示館には、

竪穴式石室とそこに置かれた副葬品である

三角縁神獣鏡のレプリカもあり、

入門編としては最適であった。

                                                次に向かったのは、崇神天皇陵。

黒塚に比べれば、しっかりと宮内庁管轄であり、

規模も大きく、当然みだりに立ち入り禁止である。

しかし、びっくりしたのは、そのお濠である。

斜面に造られたものであり、

お濠に段差がついているのだ。

この土木技術のレベルは高いし、

やはり相当な権力者が、生前からその力に

もの言わせて作らせなければできない代物である。

                                                  さらに、景行天皇陵、珠城古墳群を経て、

いよいよ今回のクライマックス、箸墓古墳へ。

ここも宮内庁管轄であり、倭戸迹迹日百襲姫命

(やまとととひももそひめのみこと)の陵墓との

ことで、第7代孝霊天皇息女の墓とされている。

                                                 しかし、一皇女の墓としては、あまりにも大きすぎは

しないか。

周囲にある同規模の墓は天皇のものばかりなのに。

確かに、そこに若干の違和感が残る。

我らが隊長はその違和感に大きく注目している。

                                                 この数日後、日経新聞の一面に目を見張った。

桜井市が、纆向遺跡で3世紀前半の大型建物跡を

見つけたと発表したのである。

まずは、今回のコースを選定された隊長の慧眼に

脱帽なのだが、上記の違和感を日本人全員が解消

するためには、管理元の英断に期待するしかないと

強く思った。

後は、現場現物でけりをつけるしかない。

それは、我らの祖先のことを正確に認識するために

今こそ必要な大英断なのだ。

ここ掘れワンワン。

2008年8月14日 (木)

法金剛院の蓮の花

一ヶ月ぶりの京都。

本来一週間前に行くはずであった。

しかし、振り返ってみると、怒涛の一週間、

というか一ヶ月であった。

客観的な見方をすれば、それなりにストレスフル

であったのだろうが、そんなの感じでいる余裕も

なかったので、ここは一つ心を落ち着けたい。

                                                                   蓮の花を見たくなった。

二条駅からJRで花園駅下車。

法金剛院を訪れた。

開門と同時に中へ入る。

                                                             クマゼミが朝からシャワシャワシャワと

うるさいくらいに鳴いている。

                                                                  そして、蓮の花が静かに咲いていた。

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それもたくさんの花が咲いていた。

                                                                                                                   梅や、桜のような華やかさ、きらびやかさはない。

しかし、一本一本が、凛として力強く、

空に向かって咲いている。

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その姿は、弟子丸泰仙老師がフランスで坐禅を

指導された時に言われていた、

”push the ground, push the sky”

そのものである。

そして、時間がゆっくりと静かに流れていく。

                                                         ところで、父は生前から、宗教色のない葬儀を

望んでいた。

実際にもそのようにしたのであるが、

こういう場所で蓮の花を眺めていると、

今頃はお浄土で美しい蓮の花に囲まれていて欲しい、

とつい願ってしまう。

                                                          心地よいお香を嗅いだ時のような、

安らかな心持ちにさせてくれる花のお寺であった。

                                                               蓮の花が咲く池の周りを歩いた。

シャワシャワ鳴いて力尽きたクマゼミがたくさんの

アリに運ばれていた。

                                                              私は蚊に食われていた。

とてもかゆいけど、これでいいのだ。と思った。

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2008年6月15日 (日)

久しぶりの山行

6/14(土)。

8:41に比叡山坂本駅を出発。

日吉神社の参道が美しい。

いつの間にか山道に突入。

だらだら続く道をひたすら登る。

                                                            途中で横道にそれ、5分程で花摘堂跡へ。

9:30である。

石碑があるのみだが、子を思う最澄の母が

女人禁制の山でぎりぎり入ることができたのが

ここ。

いわゆる「女人結界(にょにんけっかい)」の外

にできた「女人堂」である(*1)。

                                                          いずれにせよ、多くのの女性の様々な思いが

詰まっている場所なのだろう。

先を急ぐ。

横川との分岐には石仏が。

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                                                       急坂をぐんぐん登る。

様々な鳥の声が聞こえて、心地よい。

しかし、延暦寺会館裏の舗装道路はきついなぁ。

さあ、いよいよ着いたぞ。文殊楼。

10:18だ。

赤い外観と花頭窓が美しい。

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                                                              根本中道へ降りる。

観光シーズンの谷間で人は少ない。

心静かにお参り。

不滅の法灯が穏やかに静かに灯っていた。

その隣では、護摩が焚かれていた。

バチバチと護摩が燃える音、

静かな経文が、堂内に静かに響き渡る。

                                                              心穏やかになった後は、阿弥陀堂の裏から

比叡山頂を目指して登る。

11:05に広場到着。

大比叡の矢印に従いさらに歩く。 

                                                           そうしたところが、

どうも大比叡を通過して阿弥陀堂の裏まで

戻ってきてしまった。

鐘の音が近づいていたので、もしや

と思ったが、完全なる間違い。

一気に降りてきた急坂を登り、

無事に大比叡を発見。

                                                            これはわかりづらい。

入口に表示がないので、普通にしていると

通過してしまう。

12:00。

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座るところもないので、

立ったままおにぎりを2個頬張る。

そこから、少し降りた頂上駐車場から見た

大津方面はこんな感じ。

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                                                          さあ山を降りよう。

どんどん下る。

深いV字路が続く。

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まさに切り通しといった感じ。

雲母坂(きららざか)である。

最澄も、法然も、親鸞も、日蓮も、道元も

汗して登った坂である。

蛙さんも見送ってくれた。

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上を見上げると、緑の間から漏れる陽光

もきらきら輝いていた。

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                                                         やっと登山口に降りてきた。

13:20。

                                                           そこから、てくてく一乗寺まで歩いて、

「つばめ」さんでオオヤコーヒーを頂いて

ほっと一息。

                                                              久しぶりの山行は、やはり少し疲れた。

                                                                 (*1)この制度は「インドにも中国にもない、日本独自の

制度」だという。同書における、若桑先生の、仏教や

キリスト教が女性の救済をどのように考えていたのか

に関する記述は、明らかに「脱線」であるが、

女性としてのその「思い」は十分に伝わってくるし、

考えさせられるところが極めて大である。

(若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ 上』集英社文庫2008)

2008年5月 7日 (水)

園部町で田植えをした。

恥ずかしながら、この歳になって生まれて初めて、

本当の田植えを経験させて頂いた。

今は昔、小学校内のコンパクトな田んぼでの

経験はあるにはあったが、

本格的な水田での経験はなかったのだ。

                                                           いやはや、まさに「水田」である。

この時期、新幹線からみえる美しい水田を見て、

「瑞穂」の国だなぁ、なんて思っていたけど、

ここまで水が張っていて、

ここまでのぬかるみとは思ってもいなかった。

蛙も蛇も泳いでいた。

アメンボもすいすいと。

とんぼだってその上をすいすいと。

その横を流れる川には、カワニナが沢山。

それをエサにするホタルの幼虫も。

その時期のホタルは確かにすごいらしい。

                                                               その場所は、京都府南丹市園部町天引(あまびき)。

植えた苗は、酒造好適米の「五百万石」。

京都伏見の荒玉酒店さんのホームページで、

「自然酒を造る会」と松本酒造さんによる、

「田植え体験」を知って、あつかましくも

参加させて頂いた次第である。

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植えられた直後の苗。 

手前の苗の数が多すぎなのはご愛嬌。

                                                               この苗は今秋には収穫され、

伏見の松本酒造さんで醸造され、

「自然流 天引」というお酒になる。

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                                                              今はその天引を頂いているが、

飲み始めのフルーティな感じだけはなく、

後味としての若干の苦味を感じることができる。

だからと言って、いやみな苦味ではなく、

お米の穀物としての香ばしさを自然に表現している

しっかりとした苦味であり、うまい。

芳醇端麗に撤した純米大吟醸にはない、

男らしさ、男くささが、そこにはある。

こういう酒こそ、私の好きなタイプなのだ。

                                                               このお酒、「自然酒を造る会」のお酒屋さんの皆さん

の取り組みで生まれたもので、

この自然豊かな園部町天引の地にて、

減農薬、有機栽培で丹精込めて造られた

「五百万石」を、

伏見の松本酒造さんが醸されたものである。

                                                           今から収穫の秋が楽しみでならない。

もちろん、それまでにはお米を造られる方の

並々ならぬ努力が必要なのだが、

ぜひ収穫にも参加させて頂き、

そのお米で醸された「自然流 天引」を絶対に

飲むねん。

                                                              とにかく、今回ご縁を頂いた荒玉酒造さんの

若旦那さま。

そして、当日のご準備や対応を頂いた

「自然酒を造る会」の皆さまには、

本当に本当に頭を垂れて感謝です!

川べりでのバーベキュー、

釜で炊かれたご飯も香ばしく最高でした!

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2008年4月20日 (日)

都ぞ春の、錦あり。

地方(じかた)さんの「都をどりは~」に続き、

「ヨーイヤサー」で幕が開ける。

両袖から、セルリアンブルー(きっと和名もあるの

だろうが、情けないかな、わからない)の京友禅を

着た芸舞妓の皆さんが登場してくる。

一気に会場は、はんなりとした雰囲気に包まれる。

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                                                               明治5年、1872年から136回目を迎える都をどり

を観せて頂いた。

去年のこの土日は例年のように仕事だったが、

今年はありがたいことにお休みすることができた。

しかし、左首筋の痛みが取れない。

                                                              毎年この時期は体のどこかが痛くなるのだ。

その痛みを和らげてくれるような、

三味線の音色と、

長唄と浄瑠璃、

そして、踊りに酔いしれた。

                                                      演目はすべて、源氏物語から。

源氏物語イヤーの京都ならでは、である。

                                                            全てに手抜きはない。

しっかりとした技術があるからこその

「はんなり」なのである。

                                                                 この都をどりが始まったのは先述の通り明治5年。

「明治維新の大動乱と東京遷都によって荒廃し」た

京都の町の元気を取り戻すべく、

時の京都府知事、長谷信篤氏の発意によるもの

らしい。

その当時にしてみると、お茶屋さんでひっそりと

楽しまれていた座敷舞を、

こんな舞台舞にしてしまうことは相当斬新であり、

抵抗もあったのではないかと思われるが、

さすがは京都。

古いものを大事にするだけではなく、

新しいことにも果敢に挑戦しなければ、

永続性が絶たれてしまうことを

きちんと理解されている皆さんだったのである。

その斬新なアイディアも136回目。

ここまでくれば、むしろ伝統である。

                                                               今さらながらにして、京都人の心意気を

目の当たりすることができた場となった。

                                                             加茂の堤にさくら咲く、

水の流れに、花筏、

夢の浮橋、潜りては、

都ぞ春の、錦あり。

                                                            セルリアンブルーが袖に消えていった。

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                                                              その後に立ち寄った、錦の津之喜さんのおかみさん

に薦めて頂いた春鹿の木桶造りを飲りながら記す。

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                                                                 アテは、同じく錦の「のとよ」さんのこあゆの唐揚と

琵琶湖のイザサの生姜煮(下の写真は生)、

そして枡悟さんの「焼き付け筍浅漬け」である。

鮎と筍の香ばしさと、お酒の米の香ばしさが

絶妙なり。

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BGMはショルティ指揮、マーラーの第一番である。

春に似合う曲だ。

2008年4月14日 (月)

御室に広がる白い海原

4/12(土)は、久しぶりの休日となった。

前日の神戸元町からの二日酔いに負けることなく、

新快速に乗り込んで京都へ。

JRバスで目指すは御室である。

同じバスで高山寺に行くときに何度も通過していた

のだが、初めて中に入る仁和寺となった。

                                                           二王門前には、このような看板があり、

期待感がより高まってきた。

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                                                           中門をくぐると、そこは桜の海原であった。

白い御室桜が波打つが如く、遠くまで広がっている。

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枝垂れもまたかわゆい。

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御殿の中だって、満開でおじゃる。

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昨年訪れた醍醐寺も、南禅寺も、哲学の径も、

今年の熊本城も、中洲もよかったが、

御室の桜もまた素晴らしい。

例により、以下は不立文字でよかろう。

遅咲きのおむろ桜に感謝。

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2008年4月13日 (日)

日曜の夜、博多にて。

先週の今頃は博多にいた。

日曜の夜に一人歩く博多はどことなく静かであった。

                                                                    中州の河太郎さんでイカを食べた。

毎度の予定調和であるが、目の前でいけすから

捕獲され、すぐさま調理されたイカはうまかった。

しかし、身を切られたそのイカはしっかりとその

目で私を見ていた。

彼の目には、その時何が見えていたのだろうか。

                                                                 まだ時間があるので、もう一軒行った。

全日空ホテルのバーで、

アードベックのウーゲデールを頂いた。

小雨模様の博多で飲むアードベッグはもちろん

うまかった。

                                                               30年程前、一人の半ズボンをはいた小学生が

おじいちゃんとおばあちゃんに連れられて、

すげぇ~、こんなにうまいイカがあるのかぁ、

心の中で驚嘆の声をあげていた。

                                                               その後、当時の熊本では見られない立派な

ホテルに入り、

すげぇ~、こんなホテルがあるのかぁ、

と同様に驚嘆していた。

                                                             その少年は、30年後にそのすげぇうまいイカを

ひとりで頂いて、

そのホテルでひとりスコッチを飲むなんて微塵も

想像してはいなかったのだ。

                                                                 中州の桜はいよいよフィナーレを迎えんとしていた。

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2008年4月 2日 (水)

朝の通常拝観もよろしゅおす。

いかん。

最近は土日も仕事が多いので、このまま行くと、

こちら(関西)で桜を愛でることなく時間が

ぎてしまいそうだ。

                                                             こうなったら早起きするしかない。

どこに行こう。

そうだ、京都行こう。

                                                             京都のどこ行こう。

ベタなところが良い。

そうだ、清水行こう。

しかも、早朝6時開門ではないか。

                                                            平日にも拘らず、頑張って5時に起床して、

7時前には清水へ到着。

寒い。

しかも、平日からの混雑で有名な清水なのに

人がいない。

むしろ、凛とした雰囲気さえある。

いや、大いに凛としている。

同様に「懸造(かけづくり)」形式の舞台を持ち、

同様に、西国三十三所観音霊場の一つである、

奈良の長谷寺が思い出される。

                                                          舞台から京都の街を望む。

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                                                     子安の塔の古びた感じもよい

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                                                           江戸時代、寺の記録に残っているだけでも、

この舞台から234人がダイブしたというが、

ダイブ直前の視界は、こんな感じである。

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                                                           無傷にダイブに成功した場合、

このような視界で、達成感に浸ったのである。

ダイブの成功率は85.4%だったそうな。

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                                                        そして、定番の眺めである。

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                                                             メジロが美味しそうに、桜の花の蜜を吸っていた。

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                                                           「音羽の滝」の水も行列することなく、

ごくごく飲めたし、

清水は、夜の特別拝観も良いのかもしれないが、

早朝も良いお寺である。

2008年3月31日 (月)

久しぶりの熊本城

土日の博多出張の合間を見て、熊本へ。

正月ぶりとなる、つかの間の帰省である。

                                                            築城400年を迎えるに当り行われた大規模な

改修工事を終えようとしている熊本城を訪れた。

桜も七部咲きといったところである。

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                                                             天守閣前には、復元された本丸御殿が、4月20日

の公開を待っていた。

                                                            ところが、その前にできていた売店がなんとも

ちぐはぐな感じを受ける。

お城の雰囲気に合わせるでもなく、

現代的といった感じでもなく、

文字通り、興が冷めてしまうのである。

もう少しなんとかならないものだろうか。

                                                             一方で、今回久しぶりに城内を訪れてみて、

綺麗だなぁ、と思わず見とれてしまったのは、

どちらかと言えばこれまで地味な印象が

強かった宇土櫓である。

                                                          火災の難を逃れてきたこともあり、

コンクリート造の天守閣とは違って、

木造のままで残されている。

                                                            その姿は直線のラインで構成されており、

とても端正である。

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銀閣寺がお城になったような、

背筋がぴんと伸びた印象を受ける。

中に入れるのも嬉しい。

床のでこぼこもなぜか落ち着く。

                                                             果たして、復元された本丸御殿にこのような

癒しを感じることはできるのだろうか。

                                                               次回の帰省の楽しみにしておこう。

2008年2月 7日 (木)

手(てぇ)抜いたらあきまへん

2月3日の節分の日。

京都の花街では『お化けの日』となる。

東京の自宅周辺では雪が積もっており、

少し早めに新幹線で京都へ移動。

                                                                17:00の開宴には、まだ時間があるので、

まずは八坂さんへお参り。

寒いが、雪の東京ほどではない。

福豆を頂いた。

                                                                 祇園の白川沿いを歩く。

梅はまだまだこれからだ。

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サギも『お化け』を見にきたのかな。

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お店へ到着する。

「よう、おこしやす」

お店のおねえさん達が、はげカツラを被ったまま、

真面目にやさしく迎えてくれた。

                                                           2階の会場へ上がる。

しばらくすると一組目がやってきた。

歌舞伎役者風の奴さんに扮したペア。

一曲目は、まじめに。

二曲目は、ふざけて踊る。

やってるご本人達も楽しそう。

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                                                            二組目は、三人上戸。

酒を飲んで、怒る人、泣く人、笑う人を表現。

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                                                              三組目は、茶々と、はつと、小督(おごう)の

登場だ。

映画『茶々 天涯の貴妃(おんな)』がヒントか。

茶々を演じたおねえさんは見るからに

ハマリ役。

一方、はつを演じたきれいなおねえさんが、

演じ終わって尼さんの出で立ちのまま、

プハーっとビールをうまそうに空けていた姿

は妙に新鮮だったなぁ。

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                                                            そして、四組目。

まずは一人でしっとりと舞う。

しかし。途中から曲調が変わる。

私の好きなフラメンコのリズムへと変貌を遂げる。

ボーカルも、フラメンコギターも、手拍子隊も参戦。

そういう中で、彼女はカスタネットを小気味よく

響かせながら力強く舞う。

そして、見ている者と舞う者とが一体化する。

Ole!

まさか、花街のお座敷で、着物を着た芸妓さんが

舞うフラメンコが観られるとは。

『お化けの日』ならではの趣向である。

                                                                  感心したのは、どの芸妓さんも手抜きが一切

ないことである。

おふざけの日なのだから、少しくらい・・・

というゆるみは微塵も感じられない。

振り付けから、衣装から、お化粧から、

オチまですべてが真剣に、周到に準備された

ものである。

                                                                   女将さんが言っていた。

「芸事は、『お化け』やからゆうて、

手(てぇ)抜いたらあきまへん。」

                                                                 華やかな花街であるが、

そういう心意気は連綿と息づいているのだ。

                                                                  私もしっかりとそのことを肝に銘じ、

ゆるみがちな気持ちがぐぐっと

引き締まった祇園の『お化けの日』であった。

                                                             これこそが心の鬼退治なのだ。

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2008年1月29日 (火)

ほんなこつうまか鮎。

鮎。

あなたが一番好きな魚は何ですか?と聞かれて、

私が答える言葉である。

今、目の前に煮汁が十分にしみ込み、

美しい飴色になった球磨川の鮎が、

天然鮎の焼鮎からとられた出汁で炊かれた

ご飯の上に静かに乗っている。

                                                                  口に含む。

鮎独特の香ばしくもあり、清清しくもある香りが

口の中にふわっと広がる。

と同時に、甘さと内臓のやさしい苦味を舌で

じっくりと味わう。

                                                              その後に口に含むのは、

久須美酒造さんの「夏子物語」である。

清清しさと清清しさが口の中で溶け合う。

                                                             まさに、この瞬間を待っていた。

しかも、大阪の地で実現するとは・・・

別の用件でたまたま梅田の阪神百貨店のHPを

見た。

8Fの催事場で駅弁大会をやっている。

もしかして・・・

あった。

高校の先輩のご実家、熊本は八代市の

鮎屋「より藤」さんによる駅弁『鮎屋三代』である。

なんと、3年連続九州の駅弁ランキング1位

という栄誉ある駅弁なのだ。

実演販売もあるというので、

昼休みに伺ってみたところ、先輩の弟さんで

ご主人の浩さん自らお弁当を作られていた。

                                                             東京では、熊本から送って頂いた御弁当を

頂いていたが、

今回は作りたてだからか、本当にうまい。

特に、先ほど書いた通り、鮎がうまいなあ。

このお弁当をこんな感じで、日本酒で頂く瞬間

が来ることを楽しみにしていたのだが、

まさか大阪で実現するとは・・・

                                                          お酒を変えてみた。

球磨対決だ。

球磨焼酎、豊永酒造さんの『豊永蔵』である。

このお酒はお米の香ばしさが綺麗に表現

されていて美味しい。

まさに、香ばしさ対決となったわけであるが、

ピシャリと融合したばい。

                                                               ほんなこつ、うまかった。

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2008年1月26日 (土)

日本最古の禅寺を訪れて

博多出張明けの土曜日。

早起きをして、博多駅から歩き、

日本で最初に開かれた禅寺である

聖福寺(しょうふくじ)を訪れた。

                                                            午前7時の開門と同時に境内へ。

禅寺独特の凛とした雰囲気だ。

しかし、ここはあくまでも素朴である。

山門も、仏殿も、素朴である。

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圧倒的な威圧感といったものがないところがよい。

一本の筋は通っているが、あくまで自然体である。

唯一、山門にかかる後鳥羽上皇による

「扶桑最初禅窟」

の文字が密やかに存在感を醸し出している。

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                                                               宋時代の中国に渡り、日本に初めて体系的な禅を

もたらした栄西禅師は、源頼朝の後援を得て

本寺を開き、同時に持ち帰った茶の実をこの地に

蒔いたのである。

                                                          京都栂尾の茶園も、伊右衛門はん。も

ここから始まったのだ。

九州には、福岡の八女、熊本の矢部、

鹿児島の知覧等銘茶の生産地が多いのも

頷ける。

次回の博多出張時には、ぜひとも、この地で

坐ってみたくなった。

                                                    続いて、天神に移動し、

西鉄で大宰府へ向かった。

小学生以来くらいとなる大宰府天満宮である。

確か高校入試の時には、親から一緒に

行こうと誘われたが、他力は嫌だと断り

結局両親だけで行ってお守りを買ってきて

くれたような記憶が蘇った。

                                                             凍える寒さの中ではあったが、

道真公を京都から追っかけてきたという

白梅は咲いていた。

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                                                             そして、その白梅の下でお神酒を空けている

人達がいる。

ここは学業成就祈願のお宮かと思っていたが、

実は厄除けのご利益も大きいという。

この「飛梅」の木の下で、瓢箪酒を飲むと、

不思議に難を逃れるという伝承があるのだ

という。

実は拙者、前厄に入っていたので、

これもご縁かと厄払いをして頂くことにした。

中学生時代の気概はどこへ行ったのやら、

ではあるが、

まあこれもご縁なのであろうと、

本殿でお祓いを受けて、

「飛梅」の下で瓢箪の入れ物から注がれた

お神酒をありがたく頂戴した。

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                                                         ところで、道真公は、遣唐使を廃止を建議

しているが、

この建議がなければ、中国禅がもっと早く

日本に入ってきていた可能性がある。

そうであったとすれば、

今の日本の禅宗はまた違った形になっていた

のかもしれないと思った。

                                                        実は、道真公と日本の禅宗との関りは深い。                                                             

禅宗には、道真公は、夢で中国に参禅し、

一夜にして悟りを得、「渡唐天神」として

讃えられている。

これは、一般民衆に禅を根付かせるための

苦肉の策であったのだが、

江戸時代の、日本禅中興の祖である白隠禅師

強力に道真公を表に出して布教に努めている。

                                                         前の晩、午前1時を過ぎてから、

博多名物の屋台の店に行こうかとも思ったのだが、

まっすぐ宿に帰ったおかげで、

こんな貴重な時間の使い方をすることができて

がまんした甲斐があったってもんだ。

                                                               

                                                             

2008年1月14日 (月)

2008年1月13日

2008年1月13日(日)。

朝から京都へ。

法堂でお参りをした後、いつものように坐る。

寒い。

坐禅はこれぐらいの寒さがないと、といつも

思うのだが、

最近温かい日が続いていたので、

体感的にはとても厳しく感じる。

確かに後で調べたら、前日の最低気温が9度。

本日は最高が6度、最低が3度であった。

人間、ギャップに弱いのだ。

                                                         老師の狙い通り、その後の新年会の部屋が

温かく感じたことといったらなかった。

この場所は、言ってみれば、

全国各地から集まる雲水さんの学校である。

この場所で修行する期間は、

眠い、ひもじい、寒い、暑い等という気持ちと

戦っていかなければならないのだ。

                                                          今日は一時間半寒いところに居ただけだが、

日常生活のありがたみを少しでもわかって

欲しいという老師のご配慮と推察した。

本当にありがたい。

新年会では、30代の頃から40年も通って

おられるというSさんと懇談させて頂いた。

人間、□(しかく)く生きるだけではなく、

○(まる)みも見せて行かなければなりませんぞ。

温かいアドバイスが沁みた。

こういうご縁にも感謝である。

                                                          その後は哲学の径を少し歩いて、

大豊神社へお参り。

ここの大国主命(おおくにぬしのみこと)の

お社の前には2匹の狛ねずみがいるのだ。

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本年の干支ということもあり、

既に長蛇の列ができている。

先日の文楽で雪舟や雪姫同様に、

大国主命もねずみに命を助けてもらったという

『古事記』のお話に由来するものだそうだ。

私の干支もいた。

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子年の父に絵馬を買い、東山の知恩院を目指す。

                                                        現在、京都では、非公開文化財の特別公開が

行われているのだが、

一切経が収められた経蔵を見たくてやってきた。

同じタイプの経蔵は、

大津の三井寺でも見たことがあるのだが、

ここのは中身がすごいのだ。

                                                         周囲の壁や天井には、飛天や鳳凰、

麒麟、蓮の花等が極彩色で描かれている。

この経蔵は、真ん中に配置された八角形の

輪蔵を1回転させることで、

約6000巻のお経を読んだのと同じ功徳

があるという、ある意味で虫のよい施設なのだが、

その功徳の素晴らしさを

この外見と中身のギャップで表現したのだろうか。

人間、ギャップに弱いのだ。

                                                             さて、近くの古川橋商店街にある喫茶店「六花」

さんの珈琲でほっこりしよう。

美味しくて2杯飲む。

次回はカレーライスもお願いしよう。

                                                            河原町まで歩いたら、お腹もすいてきた。

前から気になっていた六角の焼き鳥屋さんへ。

くもの子(たらの白子)ポンズ。

ルイベ焼。

焼き鳥、焼野菜を注文。

全てうまいが、特に、

「こころのこり(はつの周囲の膜)」は絶品。

ぬる燗(奈良の『梅の宿』)を3合。

焼おにぎりでシメた。

                                                                大阪に戻り、ウイスキーを一杯やりながら

ブログを書いた。

アテは、河原町のパティスリーカナエさんの

マカロンなり。

せっかくの日だからと、男一人恥ずかしくも

あったが、女性とカップルだらけのお店に

飛び込んで頂いてきた。

いやはや、カナエさんのマカロンときたら、

控えめな外見と裏腹な中身がすごい。

こんな深くて広い世界が中に潜んでいたとは。

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タルトタタン味は、中身自体が一つケーキのよう。

抹茶味は、抹茶の味わいにひたすら徹したところ

がよい。

レモン味は、チョコクリームとレモン(ピール?)

との相性が抜群。

知恩院の経蔵を上回る豪華絢爛さであった。

しかも、ウイスキーとの相性も申し分ない。

今回は、ニッカのブレンドだったが、

スモーキーで少しソルティーなシングルモルトに

合うマカロンを作って貰えたら嬉しいな。

とにかく、人間、ギャップに弱いのだ。

                                                           気付くと、2008年1月13日は終わっていた。

40歳の誕生日であった。

2007年11月 7日 (水)

無鄰庵で感じた緊張感

南禅寺を出て無鄰庵(むりんあん)へと歩いた。

山縣有朋の別荘である。

なんと当日は無料公開日。

Lucky me!

                                                            素晴らしい庭園が目の前に広がる。

広がると言っても、

横に広がるのではなく、

縦に深く、深く広がる。

その遠くには東山の山並みを望む。

このグラデーションテクニックは感嘆せざるを

得ない。

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                                                             山縣有朋が小川治辺衛に、

とにかく斬新なものを!

ということで作ってもらったらしいが、

本当に斬新だと思う。

                                                                 紅葉とのマッチングも十分。

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                                                                 そして、いよいよ洋館へ。

2階へ上がる。

                                                                1903年4月21日。

それは、日露戦争前夜のことである。

今後の対外政策を決定する会議が

行われた場所である。

                                                        出席者は、山縣有朋のほか、

元老 伊藤博文。

首相 桂太郎。

外務大臣 小村寿太郎。

この椅子に4人は座り、決めた。

                                                         これは、単純な日本の外交方針を決める場

だけではなかった。

その後の日本人の精神構造を変えてしまうほど

の力を持つ場であった。

                                                        漱石の文学は、その時代の雰囲気を色濃く

反映していると思うが、

この方針決定がなかったら、

また違ったものになっていたはずである。

                                                           果たしてこの4人は、この時、

自分達の判断が及ぼす影響の範囲を

どのように考えていたのだろう。

                                                                 良し悪しは別にして、

そのような判断がこの狭い空間で

行われた。

                                                            調度品も含めてそのまま残されている空間に

身をゆだねてみると、

ある緊張感を覚えざるをえない。

                                                          その緊張感というものは、人として、

とても大切にしなければならないものだと

思った。

                                                                    

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2007年11月 6日 (火)

そんなに急いでこられちゃ、

南禅寺もすっかり秋の気配である。

桜の山門も美しいが、紅葉の山門もまた格別。

坐わった後であればなおさらのこと。

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                                                          疎水の水路閣と紅葉のコラボもまた、よし。

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                                                             水路閣をくぐり、

特別拝観中の南禅院方丈へ上がり、

南禅寺が開かれるきっかけを作られた

亀山法王御木造を拝む。

                                                      外へ出て庭園をぐるりと散歩。

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                                                           まだまだ本格的な紅葉はこれからである。

                                                                そんなに急いで

紅葉の秋に来られちゃ、

ツマンナイ。

                                                            昨秋のJR東海「そうだ、京都行こう」の

キャンペーンコピーが頭をよぎった。

2007年11月 5日 (月)

秋山の樹の下隠り・・・

11/3(土)は、会社関係の皆さんで構成される

「大和路を歩く会」へ参加。

前回は、奈良の桜井駅を南下し、飛鳥寺や岡寺、

石舞台古墳などをめぐる「磐余(いわれ)の道」

であったが、今回は桜井駅を北上する、

「山の辺の道」である。

                                                        まず、秋の奈良に欠かせないものは?

そう。

熟した柿と青い空である。

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                                                             稲刈りも忙しそう。

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                                                           玄賓(げんぴ)庵のいかめしい不動明王。

と花。

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                                                          桧原神社前の茶店で食べたにゅうめんは

やさしいお味でうまかったなぁ~。

                                                        ヤマト王朝発祥の地付近から望む。

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トンボにも遭った。

320_2                                                              

                                                              秋山の 樹(こ)の下隠り 逝く水の

吾れこそ 益さめ 御(み)思ひよりは

                  鏡皇女

                                                 <秋山の木の下を隠れて流れ行く細い流れ

 の水が、次第に水かさを増すように、

 私のあなたへの思いは、あなたの私に

 対する思いよりも勝っているのですよ・・・>

                                                                                                                                                

2007年10月31日 (水)

玉の泉は生きていた。

特別なご縁があって、京都伏見区の月桂冠さん

お邪魔させて頂いた。

                                                        京阪電鉄の中書島駅から歩くこと7~8分

で、がらりと街の雰囲気が変わる。

宇治川の派流である濠川沿いに立ち並ぶ

白壁土蔵の酒蔵。

この付近は、江戸時代の参勤交代で、

淀川から宇治川を船で上がってきた

西国大名が逗留しなければならなかった

場所である。

「しなければならなかった」というのは、

この伏見の地に必ず逗留させることが、

大名が個別に京の都の朝廷と接触することを

嫌った幕府の施策であったからだ。

そういう場所で、江戸初期の1637年に創業し

今に至るまで品質の良い日本酒をひたすら

作られてきているのが、

ここ、月桂冠さんなのである。

                                                          まずは、お酒の博物館「月桂冠大倉記念館」

で昔の酒造りの雰囲気を味わわせて頂いた。

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一般見学の時間は終了をしているので、

見学者は我々のみ。

当初は、月桂冠という銘柄ではなく、

「玉泉(たまのいずみ)」。

命の水。

魂を込めて作ったお酒。

という意味だという。

その名前を復活させたらと思って聞いてみたら、

どうも台湾で商標登録されているので無理

だそうだ。残念。

                                                                続いて、普通なら絶対に入れない聖地へと

連れて行って頂けた(これはまさに破格の

待遇でありひたすら感謝するしかない)。

                                                それは、月桂冠さんのお酒作りの大本丸である

「大手蔵」である。

                                                                 先ほどまでの古い酒蔵とは異なり、

見た感じは、とても清潔で整然とした工場の風。

しかし、そこでもしっかりとお酒作りの魂は

生きていた。

                                                                 酒母、麹(こうじ)、蒸米、それに仕込水が

入れられた発酵タンクがある部屋に入れて頂く。

                                                           ここは少しの雑菌が入り込むだけで、

お酒が台無しになってしまうくらい

細心の注意が必要な場所である。

発酵タンクの蓋を開けて頂くと、

ぶくぶくと発酵する白いもろみが見えると

同時にとても甘くて美しい香りが漂う。

                                                            そして、まさか。。。

タンクから汲んで頂いた白いもろみが

目の前に。

拝むような気持ちで頂戴した。

「美味しい」というよりも、「うつくしい」。

最後残った酒かすまで指で舐って頂いた。

                                                          続いて、発酵の終了した熟成もろみが、

新酒と酒かすに分離される圧搾機の前へ。

さらにのまさか。

圧搾し終わったばかりの、透明色に近い

液体が目の前に。

もう感無量である。

阿弥陀如来のご光臨なり。

                                                             ところで、杜氏さんの数が徐々に減っている

そうだ。

そのため、こちらでは、杜氏さんの勘と経験

による判断をできる限りシステムに置き

換えて伝統を引き継がれると同時に、

品質の安定したお酒を作られているという。

                                                          これは、興隆を極める近代製鉄業と同様だ。

製鉄所のシンボルと言える高炉(溶鉱炉)には、

その昔、まさしく勘と経験により、

外からは見えない炉の中の超高温のお湯

(溶銑)の状態が手に取るように見える、

宿老と呼ばれる人達がいた。

                                                 現在日本の製鉄業が技術的に

世界トップレベルの位置を占めることができて

いる背景には、

今はなき宿老たちのニューロン群に蓄積された

勘と経験をシステムに置き換えて、

最低限人間の判断が必要な部分のみ

人間が関与する、というやり方が奏功した

という面が大きい。

                                                         それと同様のことが、日本酒造りの現場

でも行われていたのである。

                                                            日本の製鉄業は、高い製造技術が求められる

自動車や造船向けの高性能鋼板を製造できる

だけでなく、一方でそこまで高いグレードのもの

が要求されない汎用品については、

効率的な大量生産体制を構築することで

対応してきている。

それは、こちら月桂冠さんでも同様なのだろう。

                                                      私が、タンクからくみ出されたもろみを飲ませて

頂いて感じた「うつくしさ」と「おいしいさ」には、

たとえ大量生産している中にあっても

決して忘れてはいけない、

月桂冠さんの心意気が込められていた

ような気がしてきた。

                                                             それは、そういう銘柄はなくとも、

確かに「玉泉(たまのいずみ)」であったのだ。

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今回このような経験ができたのも、

本当に特別なご縁のお陰である。

深く感謝申し上げます。

2007年10月27日 (土)

柔軟なる京都御所

10/27(土)9:00に予約がしてあった。

地下鉄今出川の駅に着いたのが9時ちょうど。

「まずい・・・」

入り口まで早足で急ぐ。

                                                             「すいません。9時の回を予約した者ですが・・・」

「はい。はい。どうぞ。どうぞ。」

警備が厳重なところゆえダメもとで聞いてみた

のだが、すんなり皆さんと合流できた。

ありがたい。

                                                            京都御所の参観標準(約60分)コースである。

79歳のおじいちゃまが案内役だ。

私にとっては、20年ぶりに京都御所の中に入ること

とになる。

しかし、前回は年に二回ある一般参観でこんなに

じっくりと解説付きでは観られなかった。

                                                           諸大夫の間。

格の高い人が待機する「虎の間」。

なんと岸岱の虎ちゃんなり。

写真も撮ってよいと(まじかよ)。

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                                                    有名な紫宸殿。

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                                                       ここに15歳頃まで住んでいた明治天皇が舟遊び

をしていた池。

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                                                        少しずつだが、京都でも紅葉が始まっている。

さて、今年のピークはいつ頃となるのやら・・・

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というわけで、遅刻者に対して、

決してお役所的な対応ではなく、

柔軟に対応してくれた京都御所さまでありました。

古都のお役所はこうでなくっちゃ。

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2006年12月 3日 (日)

波間に漂う流木にとまる海鳥+紅葉三昧

12/2(土)は、久しぶりの「奴」でかやくごはんを詰め込み、JRで京都へ。翌日の12/3(日)が自分をとても可愛がってくれた祖父の命日であり、分骨されている大谷本廟(東山五条)を訪れる。お花を買って、お骨の眠る場所で深く合掌。そういえば、幼稚園に入る前に熊本から京都に連れて来てくれたのも祖父であった。

さて次はどこに行こうか。もともと今回は、14:00からの京大の講演が決まっているだけで後は自由行動。たまたま、建仁寺の看板があり、歩いて行ける距離でもあり、早速目指す。おなじみ宗達の風神雷神図の模造を過ぎると、潮音庭が目に飛び込んでくる。敢えて、庭に近づかないで観ていると、あたかも額縁に描かれた絵画のよう。なぜかはわからないが、とにかく引き込まれ、まさに潮の音が聴こえてくる。配置の妙か。風が通ることもあり、確かにそこには1/fのゆらぎを感じる。

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続いて、「方丈」へ入る。枯山水の庭も良いが、橋本関雪の襖絵「生々流転」の中の「荒波に漂う流木の上で羽を休める海鳥」が特に印象に残った。ふと上を見上げるときれいな紅葉が・・・

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東山通に戻り、来たバスに飛び乗り、久しぶりの哲学の道へ。20年前に京都で浪人生活を送っていた私が息抜きに走っていた道である。ひたすら歩く。歩く。そして、昔住んでいた下宿が近づいてくる。恐る恐る近づくと、やはりそこにお目当てのものはなかった。小ぎれいな学生マンションが普通にあった。目に暖かいものがこみ上げてくる。がんばって勉強したにもかかわらず出来が悪かった一次試験に落ち込んだ。目に入ったのは電気のコード。これで死のうと思えば死ねるのだ。そう自然に考えが浮かぶほどの挫折を経験した場所。

そういう思い出のある哲学の道の紅葉はこんな感じであった。

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京大方向へ歩みを進める。橋本関雪記念館「白沙村荘」が目にとまる。時間的には通過してもよいのだが、建仁寺で観た絵も気になっており、思い切って中へ入る。

今年の紅葉は暖秋の影響で、さすがの京都でも例年に比べると、色づきが悪い。但し、ここはそんな気を全く起こさせないほど、一面の紅葉。池も小川も屋根も雪のように紅葉が降り積もっている。その時、天気が悪くなり、風が急に吹いてきた。紅葉が空からも大量に降ってくる。後は細かい説明は不要。一見に如かず。

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時間がないのでざっと見て、昼食を取る場所へ急ぐ。京大といえば、進々堂のカレーライス。あの時のゆったりした雰囲気、カレーライスの味はそのままそこにあった。

構内へ入り、時計台の中へ。今回は、京都大学21世紀COEプログラム 活地球圏の変動解明(KAGI21)の公開講演会を聴きにきたのだ。まさに世界的権威と言える、真鍋淑郎先生と増田富士雄先生のご講演は、それはそれはエネルギッシュ。まとめて言うと、現在の温暖化のレベルは過去の寒暖サイクルからすると明らかにそれを外れたレベルまで来ており、早急な対策が待たれるというもの。真鍋先生は、「地中に閉じ込められていた石炭や石油を表に出して使っているのだから、その当時のCO2量に戻り、温暖化することは必然。ただ、人間は更なるテクノロジーの進化で対応するのではないか。地中に住めば良いのだ。」と仰っていたが、いずれにせよ、何らかの策は講じるべきである。

ふと、午前中に見た「海鳥」の絵が脳裏をかすめる。そう。この地球でこんな暮らしができている自分はあの海鳥なのだ、と思った。大波がくればひとたまりもない。いや、それだけではない。休日のどちらかをこのように自分のために思う存分使える自分もそういうものだ。一瞬の羽休め。でも、鳥は羽を持っているので大波をかぶる前に飛び立てばよい。それでは、人間は?この自分は?そう。飛び立てばよいのである。人間なりの羽を必死に動かせばよいのである。

夜は、裏寺町の「とみ寿司」で一杯やり、先斗町の「tonbo」でバーボンをあおって羽休め。

2006年11月18日 (土)

空いた口が塞がらぬ阿弥陀さま。

昨夜のワインの二日酔いもなく、7時に起床。予定通り、奈良を目指す。JR奈良駅で下車し、向かうは「浄瑠璃寺」。9:20発の臨時バスに乗り込み、30分弱で到着。期待感高まる中本堂へ。素朴な作りのお堂と紅葉がぴたっとマッチ。

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中へ入る。

口が開いた。

閉まらない。

開いた口が塞がらないのはあきれた時だけではないようだ。

9体の中で真ん中に鎮座する阿弥陀さまの前に座り、息を吐ききって合掌。

ただ、これ以上はもう書かない。そういう貴重な経験ができたことにただただ感謝。

「ここは世界遺産になんか登録しないで欲しいワン。」

庭で飼われていた雑種犬のじんべいがそう言っていた。

ただ、帰りのバスで思ったことは、偶像崇拝って罪作りだなぁということ。決してそれが目的ではないはずだから。こんな風に素晴らしい仏さまに出会った時はしかと自分を見失わないようにしなきゃいけないワンと思って、次なる目的地である奈良県立美術館へ。「応挙と芦雪」展を観てきたが、これを書き出すと浄瑠璃寺の感動が薄れるので止めておく。

合掌。

2006年10月15日 (日)

比叡山の生き物たち

昨日、10/14(土)は、京阪電車の「比叡山1dayチケット」を購入して、電車に乗り込む。このチケットは、京阪電車と叡山電車に加え、頂上までのケーブルカーとロープウェイ、そして比叡山各地区間を結ぶシャトルバス乗り放題までついた格安チケットである(本来3880円が2000円に!)。

大正末期に設置され、現在でも高低差561mが日本一を誇るケーブルカーは、急勾配の角度といい、曲線レールといい、車同士の離合の瞬間といい、素直に面白い。南禅寺境内にある疎水のレンガ橋もそうだが、当時の土木技術の粋を集めたと思われるものが多く、京都の方の進取の精神が感じられる。

さて、山頂駅に到着するが、次のバスまで一時間あまり。根本中道のある東塔まで歩いて30分というので、山屋の超端くれとしては、迷わず比叡山山中の山道に分け入る。回峰行を行じる僧の息遣いが聞こえてきそうな杉の木立を歩くと、観光客でごった返す東塔に到着。

以前記事にした宇治に続き、ここ比叡山も高校の修学旅行以来となるのだが、平等院とは異なり、あの時の方がむしろ感動していた気がする。その理由を色々考えてみたが、大きいのは訪れた時期である。あのときは、12月初旬で小雪舞う凍えそうな中で、根本中道に入り、「一隅を照らす」という言葉と絶やすことのできない法灯に感じ入っている自分がいたことを今でも覚えている。寒い中での温かみに比べ、紅葉前のとても過ごしやすい時期の温かみが生ぬるく感じるのは当たり前かもしれない。

それと、もう一つは観光地化が進んだことによる生ぬるさ。各地区の中でも静寂さを売りとする西塔で、団体客の中のおじさんが缶ビールをちびちびやりながら、がやがやと入ってこられた。一方、その前にあるお堂では、現在修行中につきお静かに、との看板が。後でそのビールが東塔前の売店で売られていたことを知るが、本当にそんなことでよいのか・・・すこし悲しくなった。

そういう自分を今回救ってくれたのが色々な生き物たちである。

まずは、横川地区に入ったところで、未だかつて見たことがない程綺麗な色をしたコガネ虫に遭遇。もう少しで踏みつけてしまいそうなところだった。緑なのだが赤く、赤いのだが緑色に光る甲羅がとても印象的である。後で訪れた比叡山自然教室で「オオセンチコガネ」ということを知る。熊本の実家には、普通のコガネ虫がいて、害虫だあと踏んづけて殺していた自分であるが、今回は持って帰ろうかと思うほど美しいコガネ虫であった。

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続いて、横川の元三大師堂から降りたところにある、道元禅師得度の地での出会い。それは通常なら誰も降りていかないような場所にあるが、禅師のたましいを感じるべく迷わず降りる。そしてそこに建っている石碑を読んでいると、何かがいる。長い足を持つ虫。蜘蛛のようでもあるが、蜘蛛とも少し違う、過去の山行の中でも見たこともない不思議な佇まいの虫。今度図鑑で調べて見るつもりである。

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さらに、そこから上に戻るときに、ニョロニュロしたものを発見。へびかと思いきや、大きなミミズ。これは山行中にも見かけたことがあるがとにかく活きがよい。体表には縞模様があり、ピカピカしててゴニョゴニョ動く。ネットで調べた結果、シーボルトミミズというものであった(参考:http://www.geocities.jp/at_mocha/mimizu/mimizu-suzuka.htmhttp://www.h7.dion.ne.jp/~ecokochi/mimizu.htm)。鳥の餌に適しているようで、鳥類の種類も豊富な比叡山ではとても貴重な存在なのであろう。

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いずれにせよ、これらの生き物たちの体内には、この地で研鑽を積んだ多くの僧のたましいが宿っていることだろう。また、このようなめぐり会いができたことがとても嬉しい。ここは当然、昔より殺生絶対厳禁の地であり、今でも多種類の生き物達が生息しているらしいが、なるほどと納得した次第である(同種同士の無益な殺し合いをしたのは信長の焼き討ちの時くらいか・・・)。

そんなこんなで出町柳に戻ってきたのが16:00。そこから、錦市場へと足を運び、川魚のお店「のとよ」さんにて、琵琶湖産の子持ち鮎のあら煮と鯉こくを閉店前の安値で購入。さらに、絶対にはずれのない酒屋さんである「津之喜酒舗」さんで滋賀の地酒「松の司 楽」を1450円で購入し、大阪へ戻る。

上記の生き物たちだけでなく、比叡山からの水で育った鮎や鯉にも癒され、それはそれは楽しーい、ひとりごはん。その鮎や鯉にもきっと、上記のたましいが宿っていたのだろう。

気が滅入ることもあったけど、多くのたましいを頂戴し、「また来いや!」との激励を頂戴した一日であった。

2006年9月 9日 (土)

ひさぶり平等院と若冲ゆかりのお寺さんで感涙。

久々に東京に戻らない休日となり、既に計画をしていた通り、ぶらり宇治方面の旅へ。

いつもの京都行きのように、梅田食堂街の「奴」で名物「かやくめし」モーニング(500円)を食べ、御堂筋線淀屋橋経由で初乗車となる京阪電車で宇治へ乗り込む。確かに流れの速い宇治川を渡り、修学旅行以来の平等院へ。観音堂の美しい観音様に見とれた後は、さぞかしその季節は綺麗であろう藤棚を過ぎて、300円支払い、鳳凰堂内プチツアーへ。

阿弥陀さまとのひさぶりの対面。もちろん、やさしい顔立ちに癒されるが、ついつい、目は周りを飛び交うモーニング菩薩。もとい、「雲中供養菩薩」の皆々さまに釘付け。修学旅行の時にはこんな素晴らしい菩薩さまが飛び交っていること等全く興味がなかったが、修学旅行、ましてや男子クラスのそれってそんなもんだろう。雲に乗って飛び交う姿にこれまた癒される。

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そして次に目が向かうのは、柱や天井のかすかに残る彩色の跡。さぞがしきらびやかだったろうと、想像をたくましくしてその極彩色の中にいる自分をイメージすると、そこでまた癒される。末法思想が広がり今を生きることにどうでもよくなる感じが人々に蔓延する中、貴族たちはこの場所に訪れて、癒され、そして生きる希望を抱いたのかもしれない。浄土信仰については、現世よりも来世に目が向いてしまい、「どうせ今はどうでもよいのだろう」というような批判を受けることもあるのだろうが、このように少しでも将来に希望の光が見えると、「今をがんばろう」という心持になるのではないかと思い直した次第。

続いて、きわめて現代的な趣の鳳翔館へ。CG映像で復活された極彩色の鳳凰堂を見て、これまた癒された後、モーニング菩薩。さま達とより近い距離にてご対面。運よく他のお客様がいないので、まさにモー娘。の楽屋へ一人で入り込んだ状態に。すげぇ、すげぇ、すげぇ癒されたぜぃ。

そう、ここは想像力を駆使して見るお寺。ゆえに、当時高校生坊主の私にわかるわけがなかったのである。

続いて、京阪宇治駅に戻り、2つとなりの駅「黄檗(おうばく)」の萬福寺へ。

山門を入ると、そこは中国的、大陸的な雰囲気に一変。素敵な笑顔の布袋さんに出迎えられ、案内表示に従って歩く。

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木魚の原型となった魚板と対面し本堂へ。なんとまあ、ご本尊の釈迦牟尼仏までが中国っぽい。という感じで異国情緒溢れるとはこういうことを言うのだろう。

それよりも何よりも、今回このお寺で一番気に入ったというか、気になったのは歩道と敷かれている敷石。写真のように正方形の石がひし形の型でまっすぐと延々続く。これがまた案外歩きにくい。。。何なんだこれは・・・

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わかった。これは禅問答なのである。勝手に考えたのはこういうこと。一つ一つは正方形の石だけど、並べてみると、一本の筋が通っている。そうなのだ。今をひたすら生き切ることで人生という一本の道がつながる。まさに禅の教えそのものではないか。

なーんて、勝手に納得。実は、これ、この後訪れる石峰寺にもありました。すこしゆがんでいたけど。いずれにせよ、このお寺には平等院のような癒しの空間はない。今を一生懸命生きるのじゃ。そう布袋さんが笑って言っている。そういうお寺なのじゃ。ここは。

さて、再び京阪電車に乗り、深草へ移動。駅近くの食堂で、裏の人気メニュー「から揚げ丼」をほおばった後、住宅街を抜けると出ました。石峰寺の真っ赤な門が。そうここも中国風なのである。それもそのはず、ここも萬福寺と同じ黄檗宗なのですから。

五百羅漢を見る前に、うちわを渡され、虫よけスプレーを絶対にかけて下さいと言われ、素直に腕中かけまくる。若冲のお墓の前に跪き、「やって参りましたよ」とご報告した後、裏山へ入る。いやはや、いきなり藪蚊の大群が・・・

でも、そんなことどうでもよい。目の前には羅漢さんを中心とする石像群が。3次元の若冲ワールドに完全にやられた。もはや下手な注釈・解説は不要。百聞は一見にしかず。とにかく圧巻は「賽の河原」。今思い出すだけでも鳥肌が立つ。若冲の「思い」がそこには未だ漂っているのだ。確かに若冲がそこにいた。

ゆえに、あえて写真は添付しない。

ところで、これほどの羅漢山が明治以降のある期間荒廃していたという。情けなし。これを後世に伝えていくのは我々の務めである。

三条京阪まで出て、イノダコーヒーで一服し、大阪へ戻る。

修学旅行より、全然密度の濃い一日旅行であった。

(後日付記)若冲が石峰寺で仏になったのは、9/8か9/10と言われているそうである。私がお参りしたのは、9月9日。若冲は本当にそこにいたのかもしれない。ご縁に感謝。