久々に東京に戻らない休日となり、既に計画をしていた通り、ぶらり宇治方面の旅へ。
いつもの京都行きのように、梅田食堂街の「奴」で名物「かやくめし」モーニング(500円)を食べ、御堂筋線淀屋橋経由で初乗車となる京阪電車で宇治へ乗り込む。確かに流れの速い宇治川を渡り、修学旅行以来の平等院へ。観音堂の美しい観音様に見とれた後は、さぞかしその季節は綺麗であろう藤棚を過ぎて、300円支払い、鳳凰堂内プチツアーへ。
阿弥陀さまとのひさぶりの対面。もちろん、やさしい顔立ちに癒されるが、ついつい、目は周りを飛び交うモーニング菩薩。もとい、「雲中供養菩薩」の皆々さまに釘付け。修学旅行の時にはこんな素晴らしい菩薩さまが飛び交っていること等全く興味がなかったが、修学旅行、ましてや男子クラスのそれってそんなもんだろう。雲に乗って飛び交う姿にこれまた癒される。
そして次に目が向かうのは、柱や天井のかすかに残る彩色の跡。さぞがしきらびやかだったろうと、想像をたくましくしてその極彩色の中にいる自分をイメージすると、そこでまた癒される。末法思想が広がり今を生きることにどうでもよくなる感じが人々に蔓延する中、貴族たちはこの場所に訪れて、癒され、そして生きる希望を抱いたのかもしれない。浄土信仰については、現世よりも来世に目が向いてしまい、「どうせ今はどうでもよいのだろう」というような批判を受けることもあるのだろうが、このように少しでも将来に希望の光が見えると、「今をがんばろう」という心持になるのではないかと思い直した次第。
続いて、きわめて現代的な趣の鳳翔館へ。CG映像で復活された極彩色の鳳凰堂を見て、これまた癒された後、モーニング菩薩。さま達とより近い距離にてご対面。運よく他のお客様がいないので、まさにモー娘。の楽屋へ一人で入り込んだ状態に。すげぇ、すげぇ、すげぇ癒されたぜぃ。
そう、ここは想像力を駆使して見るお寺。ゆえに、当時高校生坊主の私にわかるわけがなかったのである。
続いて、京阪宇治駅に戻り、2つとなりの駅「黄檗(おうばく)」の萬福寺へ。
山門を入ると、そこは中国的、大陸的な雰囲気に一変。素敵な笑顔の布袋さんに出迎えられ、案内表示に従って歩く。
木魚の原型となった魚板と対面し本堂へ。なんとまあ、ご本尊の釈迦牟尼仏までが中国っぽい。という感じで異国情緒溢れるとはこういうことを言うのだろう。
それよりも何よりも、今回このお寺で一番気に入ったというか、気になったのは歩道と敷かれている敷石。写真のように正方形の石がひし形の型でまっすぐと延々続く。これがまた案外歩きにくい。。。何なんだこれは・・・
わかった。これは禅問答なのである。勝手に考えたのはこういうこと。一つ一つは正方形の石だけど、並べてみると、一本の筋が通っている。そうなのだ。今をひたすら生き切ることで人生という一本の道がつながる。まさに禅の教えそのものではないか。
なーんて、勝手に納得。実は、これ、この後訪れる石峰寺にもありました。すこしゆがんでいたけど。いずれにせよ、このお寺には平等院のような癒しの空間はない。今を一生懸命生きるのじゃ。そう布袋さんが笑って言っている。そういうお寺なのじゃ。ここは。
さて、再び京阪電車に乗り、深草へ移動。駅近くの食堂で、裏の人気メニュー「から揚げ丼」をほおばった後、住宅街を抜けると出ました。石峰寺の真っ赤な門が。そうここも中国風なのである。それもそのはず、ここも萬福寺と同じ黄檗宗なのですから。
五百羅漢を見る前に、うちわを渡され、虫よけスプレーを絶対にかけて下さいと言われ、素直に腕中かけまくる。若冲のお墓の前に跪き、「やって参りましたよ」とご報告した後、裏山へ入る。いやはや、いきなり藪蚊の大群が・・・
でも、そんなことどうでもよい。目の前には羅漢さんを中心とする石像群が。3次元の若冲ワールドに完全にやられた。もはや下手な注釈・解説は不要。百聞は一見にしかず。とにかく圧巻は「賽の河原」。今思い出すだけでも鳥肌が立つ。若冲の「思い」がそこには未だ漂っているのだ。確かに若冲がそこにいた。
ゆえに、あえて写真は添付しない。
ところで、これほどの羅漢山が明治以降のある期間荒廃していたという。情けなし。これを後世に伝えていくのは我々の務めである。
三条京阪まで出て、イノダコーヒーで一服し、大阪へ戻る。
修学旅行より、全然密度の濃い一日旅行であった。
(後日付記)若冲が石峰寺で仏になったのは、9/8か9/10と言われているそうである。私がお参りしたのは、9月9日。若冲は本当にそこにいたのかもしれない。ご縁に感謝。
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