3/29(木)。送別会が2件あり。1件は17:20~社内にて軽い立食パーティ。もう1件は、会社の先輩から21時頃に新地の某所にて落ち合おうとのお誘いを頂いた。
2件目までの時間が空いた。連日の送別会@中華であったがゆえに、お腹に重くないものを食べたいなと思うと、思い浮かぶは、「門」の大将のご尊顔。お初天神でお参りをしてお店へ入山。
「何かさっぱりしたものを下さい」と頼むと、ひめさざえの焼き物と、生ホタルイカの釜ゆでを出して頂いた。
ひめさざえの小さな蓋を取ると、なつかしい渦巻き模様が・・・
オウム貝や台風、銀河系と共通する「対数らせん」の出現である。
本当に小さくて美しいらせんである。
美味しいお酒をぐいぐい空けながら、このらせんの中心はどうなっているのだろうかと考える。らせんはどこまでさかのぼれるのか・・・
この小さならせんの中にも、銀河系の中の地球のような存在があるのか・・・
いやいや銀河系だってもっと大きな宇宙の中ではただの点に過ぎなくなる。
「powers of ten」の写真が脳裏を巡る。
2杯目へ突入。村祐という生産量の少ない貴重なお酒。新潟産。お酒自体がほどよいつまみになって、くいくい進んでしまうようなお酒。すごい酒だ。なんと作り手さんは34歳という。いやはや完全脱帽。
続いて出された、ホタルイカの釜ゆで。やさしい。本当にやさしい。しかも、上に乗った生姜がまたうまい。大将の技にも毎度のことながら完全脱帽である。
3杯目は、1杯目と同じ、秋田の「まんさくの花」の4年熟成吟醸。ふわりとした感触が舌の上を滑る。そして最後に米の香ばしさが薫る。まいった。これまた完全脱帽。
最近よく考えているのは、美味しいと感じる時には、どこかに「いのち」や「たましい」、「something great」を感じているということ。特にここ最近はタイ料理を食べるときにそのことをよく感じていて、これは一体どういうことなのだろうかと考え続けていたのである。
「こんなに美味しいものを食べることができてありがたい」と、言葉にすればそう思うのだが、その相手は、目の前のホタルイカであり、それを育んでくれた自然であり、作ってくれた大将であり、その大将との出会いであり、採ってくれた漁師さんであり、自分を産み育ててくれた両親である。
小さくて美しいらせん模様を眺めながらそんなことを考えていた。
先輩から呼び出しがあったので、お土産に作ってもらったサバサンドを送別の品として落ち合い先へと向った。
彼は我に小さきものを示しぬ。
我が掌の中なるはしばみの実の如き玉の如く丸きものを。
我は心を尽くしてそれをうち眺め思う。
こは何にかあらん。
答えは来たりぬ。
そは造られしものの総てなり。
「powers of ten」にあった、ノリッチの尼僧ジャーリアン(1400年頃)の言葉である(*1)。
(*1)詩人ウイリアム・ブレイクには、以下のような作品があった。
砂粒のなかに一つのの世界を見いだし、
野花のなかに一つの天を見いだすためには
手に無限を、そして
一時に永遠を握りしめよ。
『モナ・リザと数学』ビューレント・アーレタイ著 高木・佐柳訳 科学同人 2006より
(以上、2007-04-22追記)
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