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カテゴリー「若冲」の記事

2009年10月31日 (土)

若冲の十牛図

東北道の栃木ICを降りて、佐野市葛生へ。

セメントと石灰製造のプラントが向こう見える

場所に佐野市立吉澤記念美術館はあった。

最終日の開館数分前だが、団体客を除いて

来場の方は少ない。

                                                   お目当ては、今年重要文化財に指定された

「菜蟲譜」。

植物と虫達を巻物の中に描きこんだもので

あるが、その雰囲気はいたっておとなしい。

金比羅さん奥書院で観た「花丸図」や、

2日前に上野で観た「動植綵絵」のような

壮麗さや精密さ、そして彩りのきらびやかさ

はない。

しかし、そこには、野菜や虫たちがありのままに

生きている。

飾ることもなく、他者を意識することもなく、

そのままに素直に、一生懸命生きている。

                                                 観終わると、遊びのコーナーがあって、

置かれている色鉛筆やクーピーで、

「菜蟲譜」の一部を模写できる企画があった。

私が選んだ題材は、蓑虫くん。

目立たず、ひっそりと

(鳥の襲撃を考えれば当たり前だが)

そこにいた。

ぴんと張った糸の下で、ただひたすら眠って

いるのだ。

その凛とした姿は、上野で観た一本足の小鳥

と重なる。

それはまた、深草の石峰寺の門前で

晩年をひっそりと、しかし作画は旺盛にこなした

若冲翁の生きざまとも重なるのだ。

                                                        今回の展示のなかに、狩野探幽の十牛図があった。

                                                「菜蟲譜」は。ただの生き物の写生画ではなく、

いかにも若冲らしい「十牛図」なのである。

                                                 それは、今これを書きながら飲んでいる、

静岡の「開運」さんのひやおろし(*1)の味のように

枯淡であるが、とても深い。

                                                     (*1)ひやづめ純米 山田錦

  精米歩合55% 土井酒造場

上野の山での再会

10/23(金)は、上野の東国博にて。

10/25(日)は、栃木県佐野市の吉澤美術館にて、

若冲。

                                                 まずは、上野。

動植綵絵は3年前の三の丸、

2年前の相国寺以来。

今出川では、凄まじい熱気の中、

作品に接近するだけで一苦労したが、

今回はそこまででもない。

                                                今回、全30幅の中で一番きになったのは、

「薔薇小禽図」。

ピンクとホワイトの薔薇の花が咲き乱れる中、

一羽の小鳥が片足で立っている。

尾をピンと垂直に跳ね上げて、

凛として一本足で立っている。

しかし、その目は少し笑っているかのようにも、

一本足で立っていることを、どんなもんだいと

少し自慢げのようにも見える。

私が若冲の画が好きなのは、

このユーモアと可愛げなのだ。

金比羅で観た「若冲燕」を思い出した。

                                                    とはいえ、何かが物足りない。

そう。本来は、この動植物達と一体であるべき

「釈迦三尊像」である。

先に感じた熱気の違いはそこにもあったのかも

しれぬ。

                                                   ただ、三尊はいらっしゃらなかったものの、

今回は、「旭日鳳凰図」を間近でゆっくりと

堪能できたのがよかった。

限りなく精密、しっとりと妖艶。

お決まりの朱色だけでなく、

羽のエメラルドグリーンが美しい。

                                                 もちろん、動植綵絵の「老松白鳳図」の白さ極まる

鳳凰もよいが、極彩色のこの鳳凰も素晴らしい。

滋賀で見てきた「象と鯨図屏風」の大胆さとは

完全に対極にある緻密さ、そして、

その落差激しい両方の画を巧みに描く若冲の筆に、

言葉もなく、ただただ見入っているばかりであった。

                                                佐野市の若冲は記事を改めて。

2009年9月13日 (日)

若冲ワンダーランド

滋賀のJR石山駅からバスで50分。

奥深い緑の中にその桃源郷はあった。

MIHO MUSEUMへ到着。

受付をして、美術館へは、徒歩7~8分という。

迷わず、電気自動車ではなく、歩いた。

緑と心地よい風の中を歩くと、

身心ともに浄化されたようだ。

そして、ワンダーランドのはじまり。はじまり。

最近の展覧会では、あまり見ることの少ない、

モノクロの若冲ワールドがこれでもかと、

押し寄せてくる。

しかも、観客はまばら。

この奥地ならではであろう。

                                                今回のポイントは三つ。

まずは、『月夜百梅図』(28)。

展示、証明の仕方も良かった。

薄暗い証明の中で、

満月と白梅がほのかに浮び上がる。

見ていると吸い込まれそうになる。

妖艶な感じすら、ある。

これまでの若冲の画ではあまり感じたことがない

感覚であった。

でも、いい。

この画を暗い中で眺めながら、美味しい日本酒。

うーん。この時期なら、ちいと濃厚なひやおろしを

人肌燗くらいで飲んだら最高であろう。

BGMは、イタリアンオペラあたりか。

                                                 さて、next one。

これは、とても小ぶりなもの。

『鶺鴒図』である。

後でふれる、大きな象さんや鯨さんに比べれば、

ありさんのごときものにすぎぬ。

しかしながら、そのちいちゃなセキレイくんの

目には、しっかりとした意思が宿っている。

金刀比羅宮で見た、「若冲つばめ」同様の、

生きていく強い意思を感じる目である。 

                                                                          

                                                 そして、真打ちは言うまでもない。

今回はこれを見に、甲賀郡までやってきたと

言っても過言ではない。

本Planet初公開。

『象と鯨図屏風』。

ましてやこれを、一人占めできるとは

思ってもみなかったが、

言葉での説明はもはや不要である。

だって、象さんも鯨さんも、そして若冲先輩も、

超音波でコミュニケーションを図っていたのだから。

観るものも言葉を使ってはいけない。

                                                    両図の真ん中に立って、どんどん離れた。

展示室も出てしまった。

でも、人垣はまったくないので、

視界が遮られることはない。

両図が視野に入るくらいまで離れてみた。

このPlanet全体の雄叫びが聞こえてきた。

                                                 この雄叫びこそ、この画の真骨頂である。

2008年8月17日 (日)

「対決」シリーズを観て

8/15(金)。

車で上野の森へ。

お盆だからか、道もすいている。

しかし、東京国立博物館 平成館は混雑していた。

20分待ちなので、東京の、このクラスの展覧会

であれば辛抱の範囲内ということだろうが、

なかなか落ち着いてみれないのが残念。

                                                           それでも。

雪舟の『慧可断臂図』(愛知・齊年寺蔵、国宝)

は見たかった画の一つ。

壁に向かって坐禅に没頭する達磨に、

自ら切り落とした左腕を持参して入門を請う慧可。

見ようによっては淡白な画だが、

その時の慧可と達磨の心情を察すると、

なかなか離れがたい画であった。

                                                              一連の円空作品。

なかでも不動明王立像は、

こんなにほっとさせる不動明王はいない。

good!good!

                                                                             そして。若冲。

『仙人掌群鶏図襖』(大阪・西福寺)、

『石灯篭図屏風』(京国博)、

『旭日鳳凰図』(三の丸尚蔵館)は

初体験。

                                                群鶏図は細見美術館では、

水墨画バージョンで見慣れていたので

懐かしい感じ。

                                                石灯篭は、細部の凄みを、もっと時間をかけて

静かに味わいたかった。

                                                鳳凰図は、1755年の作品。

明画の原本を写しながら画いたそうだが、

実物の写生と思わせるかのような生命力溢れる

描写には脱帽である。

但し、約10年後に描かれた「動植綵絵」の方が、

白さのなかに際立つ鶏冠(とさか)と羽根の朱色の

コントラストの鮮明さが、

若冲の筆の進化を感じさせる。

                                                   宗達と光琳の『風神雷神図屏風』対決も見もので

あったが、

人込みで両方を見比べられる距離をとれないのが

残念。

宗達のものは、昨年、京国博の通常展示で一対一

近い状態で観た時は色々なことを考えられたが、

やはりこんな状態だと、

見た、という事実を作ることだけになってしまうのが

残念である。

それと、京国博の時は金箔部分の下の方が

黒くなっていて、

それがこの画の深遠さをより感じさせたのだが、

今回はその黒ずみがなくなっていたのはどういう

わけだろうか。

                                                             それなりの作品が十分にあり、

「対決」という面白い企画であったにも拘わらず、

大きな展覧会で画を楽しむことの難しさを改めて

痛感した次第である。

2008年6月 7日 (土)

たまには若冲じゃなくて。

6月の初日。

早朝から坐った後は少し歩いて岡崎の細見美術館へ。

久しぶりの若冲だ。

糸瓜、鶏、ねずみさん。

すでに何回か観てきたもので

再会を楽しんだ。

しかし、今回の一番は、何と言っても

鈴木其一の『文読む遊女図』である。

客が帰った朝のひととき。

ほっと一息ついて穏やかな表情で文を読む遊女。

その心持が見事に表現されている。 

                                                              つい、誰からの手紙を読んでいるかと想像したくなる。

フェルメールの『窓辺で手紙を読む女』に

引き寄せられるのと同じ構造である。

                                                            動きがある画、動きを予感させる画は観る者の視線を

釘付けにしてしまうが、

相手の気持ちや置かれた状況を推察させる画もまた

しかりだと思う。

そういう意味で、良い画というのは、

「心の理論」をうまく応用した画でもあると言えるのだ。

                                                                 特に、こういうほっと一息ついている画を観ていると

こちらの気分までほっこりしてくる。

遊女の心持を頭の中で追体験しているのだ。

                                                                そういう気分で岡崎を後にし、

さらにほっこりするために、少し歩いて、

またしても古川商店街の「六花」さんへと向かった。

やさしいトマトスープベースのロールキャベツと

いつもの通りの美味しいコーヒーにさらにほっこりした

ことは言うまでもない。

319

2007年10月 8日 (月)

しあわせさん。こんぴらさん。:その3

これだけの感動で終わらないのが今回の展覧会

の凄いところである。

                                                 私が最も楽しみにしていた、

若冲ツバメ

『飛燕図』断片である。

                                                 この画は元々、ここ奥書院の障壁画の一部分

であったのだが、画全体の痛みが激しくなった

ことから、

『花丸図』以外は岸岱の画と入れ替えられた

のである。

そして、別のお寺に移された画は、

さらに痛みが進み、

燕の部分だけが切り取られて、現在では、

四国中央市の定蓮寺に保存されていて、

今回約160年ぶりの里帰りと相成った

わけである。

                                                         まずは、上にさらりといきさつを書いて

しまったが、執念でこの燕の居所を

つきとめられた、

故 土居次義氏のご尽力に頭が下がる

ばかりである。

                                                              さあ、部屋に入る。

目の前で五羽の燕が飛んでいる。

ここでも、腰砕けになり、座り込んでしまった。

                                                             そして、燕達を眺めていて、とてもとても切ない

気持ちになってしまった。

なぜこんな切ない気持ちになったのか、

詳しい理由は自分でもわからないが、

おそらく、燕の飛ぶ姿の美しさと、

特に、その燕の目つきが

私に切なさを感じさせたのだろう。

                                                        一生懸命に飛んでいる。

ひたすら飛んでいる。

何も求めず、

ただひたすら飛んでいるのだ。

                                                  これが私の頭の中では、

若冲の生き方とオーバーラップしたに

違いない。

                                                      スタッフの方が、こう解説されていた。

「こちらは江戸時代の奇抜な画家と言われた・・・」

                                                          違う。

若冲は自分が奇抜だなんて

これっぽっちも思っていなかったと思う。

自然の有りようを、

生き物の有りようを、

そのままに表現したい。

そう思っていたに違いない。

                                                           

若冲の画は永きに渡り注目を集めることは

なかった。

若冲の画に東京や京都で多くの人が

引き寄せられるようになったのは本当に

ここ最近のことである。

(正確に言うと、2000年の京都国立博物館

から)

                                                                   それは、若冲の画が奇抜だから、

多くの人が引き寄せられるのではなかろう。

あるがままに描かれた画の崇高さを現代に

生きる人々がやっと理解できるようになった

からではないのだろうか。

                                                           最近の茂木先生のクオリア日記にこういう

記述があった。

                                                  「埴谷雄高さんの『不合理ゆえに吾信ず』

のあとがき「遠くからの返事」の中に、

                                                        この主題は自己の姿の危険な全体を露呈

しているより、僅かな先端部のみを覗かせた

まま地中に潜って、その潜伏期の数百年

のあいだに自己の起爆装置の精密度を

なんとか鋭くとぎすましたいとひたすら

心かげているかのごとくです

                                                          とあるように、胡桃の音は時に数百年

かけて拡声される。

自分自身の生というかけがえのない

はずのものさえ超えて。」

                                                     とあったが、

若冲の画という胡桃は、

長い時間地中に潜り、

今まさに、

パチン!

という大きな音を立ててはじけたのである。

                                                              もちろん、仮に若冲が長生きをして、

今の時代まで生きていたとしても、

このブームについては、

「でも、そんなの関係ねぇ」

と言い切っていたはずだろうけれども。

                                                                いずれにせよ、そういう若冲の生きざまと

燕の姿、表情が、私の中で一つに繋がった

結果の「切なさ」だったのではないだろうか

と解釈している。

                                                                出口を出たのは、10:00。

都合一時間半もいてしまったようだ。

                                                外に出ると澄み切った青空が広がっていた。

遠く瀬戸大橋も望める。

254

                                                          気分は、金刀比羅宮の黄色いキャッチフレーズ

の通り。

253

                                                           しあわせさん。こんぴらさん。

                                                         ありがとう。

2007年10月 7日 (日)

しあわせさん。こんぴらさん。:その2

白い富士を観て心も落ち着いた。

いよいよ、奥書院へ突入する。

最大の山場がやってきた。

                                                               そして、本当に、来た。

若冲の花丸図(上段の間の手前の襖)が

目の前1mに迫る。

しかも、ガラスなし。

そして、一対一での正対である。

自失した。

気がつくと、無意識的に座り込んでいた。

                                                     さらに、本来の上段の間へ。

三方から、花丸図が迫る。迫る。迫る。

まさに花曼荼羅である。

ここでも一対一で正対していると、

気がおかしくなりそうな不思議な感じに

囚われる。

                                                        しかし、この感覚、どこかで感じた。

そう。

今年の初夏の相国寺。

『釈迦三尊像』と『動植綵絵』である。

ただ、その時よりも密室感はより強く、

とても強い刺激を頭に受ける。

                                                              ただ、ただ観ているだけ。

静かに観入っていると、虫の音が聞こえてきた。

鳥の声も。

さらに耳をすますと、瀬戸内海のさざなみまで

聞こえてきそうなほど静かである。

この感覚は坐禅をしている時の感覚とほぼ同じ

である。

静かな、ゆったりとした時間が過ぎていく。

いや、過ぎていくことを意識することもない。

そして、全てが一体化する。

                                                   気付くと30分あまりが経っていた。

しかし、その場を離れたくない。

奥書院はほとんど一般公開されることはないのだ。

                                                               若冲は実際にはこの場所に来てはいない

ようである。

京都で一生懸命描いて、讃岐に送った。

その後も出不精な若冲のこと、恐らくここを

訪れることはなかったのではないか。

ここまで丹精込めて書いた作品なら、

もう一度見たくなるもの。

しかし、若冲は。。。

                                                   本来無一物。

無一物中、無尽蔵。

                                                             この言葉の意味をさらに深く教えてもらうことが

できたような気がした。

しかし、今日のこの体験は決して忘れることはない

と思う。

                                                 仮に私が、本当の意味で、

花や土や虫と一体化したとしても、である。

2007年8月15日 (水)

上野の山へ シュラ シュ シュ シュ

8/14(火)は早起きをして、

上野の山へシュラ シュ シュ シュ。

9:45には東京藝術大学大学美術館へ到着。

もはや十分に気温は上がっているが、すでに10:00

開場を待つ行列ができていた。

今回は、「金刀比羅宮 書院の美 応挙・若冲・岸岱

である。

                                                     まずは、応挙。

7月の大乗寺以来の対面だ。

遊虎図の虎ちゃんたちが素晴らしい。

本来の配置同様に展示されているので、展示室の真

立ち、右から中央そして左へと目を移していく。

                                                     滝とそこから流れる川で水を飲む親子と思しき二匹の

虎。

正面には同じくらいの大きさの二匹の虎が。

そして、その横ですやすやと寝ている豹らしきもの。

左手には、三匹の虎。

そのうちの一匹は全体的に白い色合いでこちらに

ぎろり睨みを利かせている。

ぼかした感じで描く毛並みも申し分ないが、猫を思わ

愛嬌のある表情に惹かれてしまう。

翌日、近所の野良猫に同じような水墨画っぽい色合

ネコがいて大笑い・・・

虎ちゃんたちだけでなく、間に描かれた岩や松も

迫力満点だし、全体的に大乗寺の襖絵とはまた違った

趣きあるところも、ワンパターンでなくてよい。

                                                     続いて、岸岱。

初めて対面する画家であるが、奥書院 菖蒲の間の

下段、中段、上段に展開される水辺と菖蒲、そして

その上に乱舞する蝶の集団の様に圧倒された。

しゃがんで、本来の畳の上で見るべき位置から見て

いると、自らが蝶になって飛んでいってしまいそうに

なる錯覚を覚える程だ。

                                                     そして、今回最も楽しみにしていた、若冲による奥書院 

上段の間に到着。

今回は、本物の部屋にできるだけ近い感じで再現され

いる。

四方八方から若冲ワールドが目の前に迫る。迫る。

迫る。

合計205種類の花が迫ってくる。

一つ一つの花は若冲らしく、手を抜くことなく精密に

描写されている。

「糸瓜群虫図」が205図あるかのようなものである。

きっと本来の部屋で、一人佇みながら見ていると、

不思議な感覚に囚われるのではなかろうか。

人間である自分が存在していることの方にむしろ

違和感を覚えるような。

まさに、これは花曼荼羅である。

相国寺、細見美術館に続き、今年3回目の若冲にも

大満足。

但し、これにはわけがある。

素材の良さは言うまでもないが、見せ方の工夫である。

相国寺にしろ、今回にしろ、本来の部屋の雰囲気、光

加減に細かい配慮がなされている。

大乗寺に行って体感したことだが、襖絵はその部屋で

灯りを消して座って見るのが一番だと思う。

今回も照明は落として(もっと落としてもよいくらいだっ

が)、画の前には、若干だが畳もどきのものも置いて

あった。

特に、今回であれば、応挙の「稚松双鶴図」、菖蒲の間

の岸岱のように上下に展開を見せる画は、かっこうは

悪くともしゃがんで眺めてみると、また違った味わいを

見せてくれた。

これは、昨年のプライスコレクションにおける展示の

仕方の影響も大きいような気がするが、どうなのだろう。

                                                     外に出ると、またしてもカンカン照りの日差しが痛い。

それでも、シュラ シュ シュ シュ っと、

上野の山に来て、よかった。よかった。

2007年7月25日 (水)

「後の祭り」を見ながら・・・

5月の相国寺(承天閣)以来、今年2回目となる

若冲を観るために、岡崎の細見美術館へ。

昨夏訪れた時もそうであったが[→2006.8.27記事

参照]、今回も部屋の中には私だけ。

                                                生き物の世界観が凝縮された「糸瓜群虫図」、

お嫁に行くのを恥ずかしがる嫁鼠のしぐさが

かわゆい「鼠婚礼図」、

雄鶏の尾羽が独特の存在感を示す

「鶏図押絵貼屏風」

と静かに相対する。

期間中12万人が訪れたと言われる、あの承天閣

の熱気が全く嘘のようだ。

静かな、静かな時が、私と若冲の絵の間を流れて

いく。

良い絵であればこそ、そこを離れたくないし、出口

付近に来てから、もう一度引返して見たりするもの

であるが、若冲の絵といものは、本当に見飽きる

ことがなく、ずっと見ていられるのだ。

                                                      その理由を少し考えみた。

人間の脳というものは、動かないものをずっと見て

いることは苦手だと言われている。

簡単に言うと、飽きてしまうのだ。

初めて見たものに感じる新奇性は、その対象が

静物であれば時間の経過とともに希薄化していく。

動くものを獲って食べたり愛したり、逆にそこから

逃げたりするのは、動物である人間の本能なので

あろう。

                                                           では、なぜ若冲の絵は動かないにも拘わらず見飽

きることがないのか。

それは、若冲の絵が動いているからなのである。

「糸瓜群虫図」にしても、無心に眺めていると、画中

の虫たちが今にも動き出し始めるかのように感じる。

「鼠婚礼図」は、婿側の鼠たちと、嫁とその父鼠の

間の空白が、今後の展開がどうなるのかを考え

させる白いキャンバスのように見えてくる。

そして、その空白は嫁鼠の心の中の動きを観る者

に想像させるのだ。

だからこそ、我々の脳内でのニューロンの活動が

飽きることはない。

ただ、そのように画中に描かれたものが動き出し

始めるためには、画家の力が必要なことは言う

までもないが、それに加えて、ある程度の時間、

無心に画を眺めている必要がある。

そういう意味では、ここ細見美術館はうってつけ

のシチュエーションで若冲の画を楽しむことが

できる贅沢なスペースだと言える。

                                                美術館を出て、夕飯を食い河原町まで歩く。

そこで、今日24日が祇園祭り最後の日、還幸祭

であることに気付く。

三条高倉付近で、お神輿の到着を待つこと、

1時間半。

一番目のお神輿がやってきた。

確かに比較的静かである。

このお祭りは平安時代から続いてきたもの。

最初は、疫病封じのため、神さまを神輿に乗せて

京の街を回ることがその目的だったという。

今、祇園祭りでは欠かせない存在となっている鉾

が出てきたのは南北朝時代からだそうだ。

                                                 ところで、若冲の生家はここから目と鼻の先にある

錦である。

錦の皆さんもお神輿を担ぐ。

果たして、若冲は仲間に加わったのだろうか。

いやいや、祭りの賑わいに気持ちを乱されることなく、

一心不乱に筆を使っている姿が思い浮かぶ。

静かな「後の祭り」を観ながらそんなことを想像

していた。

169

2007年5月29日 (火)

120年ぶりの再会 その3:胸が痛い

今回の若冲展で観られたのは、動植綵絵だけ

ではない。

まず、入場して初っ端に展示されている他筆

よる若冲像に魅せられた。

大きな目がしっかりと前を睨む。

電子顕微鏡のように、細かいところまでしかと

見届け、赤外線のように透徹する強い目の光。

誰かの目に似ていると思ったら、レオナルドさん

じゃあーりませんか。

そういう人の目というのは似てくるのかと思ったら、

本図は明治18年に古老の追憶談をもとに描かれ

たものだという。

若冲曰く、

「いまの画というものは、みな手本をもとに描く

ばかりで、いまだに物を描けたものを見たことが

ない。そして技術によって売れることばかりを求め

ていて、技術以上に進むことができたものがない。

自分が人と違っているのはこの点だけなのだ」

レオナルド曰く、

「書家は「自然」を師としなければならぬ-書家が

手本として他人の絵を撰ぶならば、かれは取柄の

少い絵をつくるようになるだろう。然るに自然の

対象をまなぶならば、立派な成果をあげるであろう」

                                                                                            

                                                  もう一つ。

こちらは、三幅対の「中鶏 左右梅図」。

左右に白梅。真ん中に逆立ちしたような雄鶏が

一羽。一本足で立つ。

この三幅を見ていると、妙に気持ちが落ち着いて

くるのだ。真ん中のアンバランスな雄鶏だけ見て

いてもこうはいかない。

三幅で成り立つバランス。

左の梅は下から、右の梅は上から、雄鶏を包み

込む。両側の梅の構図は、レオナルドの

「受胎告知」においてマリアに受胎を告知する

ガブリエルの手とそれを受諾するマリアの手を

も思い起こさせる。

                                                自宅で解説本を見ていたら、本図は「相国寺の

九割を灰塵に帰せしめた天明の大火の翌年」に

制作されており、大火後の精神的動揺がもたらし

たものと記されているが、そうは見ない。

むしろ、そういう中だからこそ、感じることのできた

人の優しさ、そして、「つらいけどみんな頑張ろう

ぜ。なんとかなるさ。」と周囲の人達を安心させた

という若冲の気持ちが表現されているのでは

ないかと見たいのだ。

                                                そういう若冲が心を込めて創った深草石峰寺の

石仏が破壊されたそうである。                                 

若冲はあの多数の石仏を彫るために、絵を画いて

売った。沢山画いて売った。

しかし、決して手を抜くことはしなかった。

                                                 GW中に、昨年に続き石峰寺を訪れてきたばかり

であるだけに、痛い。

胸が痛い。

2007年5月28日 (月)

120年ぶりの再会 その2:小津と漱石と若冲と

全体の雰囲気を俯瞰的に楽しんだ後は、作品を

一幅ずつ丁寧に観ていく。

もちろん、下の方は、人だかりで見えないままに。

                                                気にしないで観ていると、デジャ・ビュとまでは

いかないが、どこかで感じたぞ、この感じ。

と私のニューロン群が反応する。

そうそう。アレアレ。「秋刀魚の味」だ。

小津がその映画の至る所で使っていた朱色だ。

「老松孔雀図」の下方の牡丹の朱。

「芍薬群蝶図」の花の朱。

「牡丹小禽図」の朱。

「南天雄鶏図」の南天の朱。

「向日葵雄鶏図」の鶏の鶏冠(とさか)の朱。

「蓮池遊魚図」の蓮の朱。

「紅葉小禽図」の紅葉の朱。

                                                と、続き、極めつけは、

「老松白鳳図」の尻尾の先端の朱。

しかも、その形は、きれいなハート型。

しかも、グラデーション。

かわゆいハートが舞っているのだ。

これは、かわゆい。

仮に、「ギャル」の女の子が見に来たって、この

絵には、「じゃくちゅうー、かわいーい!」

と言うはずである。

それくらい、かわゆい一幅であり、気に入った。

流石は、じゃくちゅうー。平成のギャルゴコロも

ひとり占めである。

                                                朱遣いの妙。

何もこれは、映画や絵画だけの世界の話ではない。

                                                   漱石だって、『それから』のエンディングは、「赤い

郵便筒」に、「赤い蝙蝠傘」に、「真赤な風船」に、

「赤い車に」、暖簾の旗も電柱も、と朱づくしで

終わる。

                                                小津と、漱石と、若冲と。

そこには何らかの「たましい」の重なり合いがある

はずだ。

今はこれだ、と、うまく説明はできないが・・・

2007年5月23日 (水)

120年ぶりの再会 その1:至道無難 唯嫌揀択

相国寺の承天閣美術館を訪れ、待望の、待望の、

本当に待望の、若冲による「釈迦三尊像と動植

綵絵(どうしょくさいえ)の再会」を見ることができた。

昨年、皇居の三の丸尚蔵館にて、今は同館保有

なっている「動植綵絵」の一部を観たのだが、

今年の初夏には、元々一体物として若冲が

創った「釈迦三尊像」(こちらは、相国寺保有)と

本来あるべき姿で展示されるということを聞いて

いて今か、今かと待ちわびていたところであった

のだ。

                                                室内に入る。

正面に「釈迦三尊像」3幅。

その周りに「動植綵絵」30幅。

鳥肌が立った。

なぜか目頭が熱くなった。

とても混んでいるので、一幅、一幅の前は黒山

の人だかりで、上の部分しか見えない。

しかし、33幅すべてが揃った状態で紡ぎ出された、

この雰囲気。空気に圧倒される。

もはや、黒山の人だかりも気にならない。

観に来られている皆さんまでも含めて一つの

宇宙が暗い室内に浮かび上がる。

離れてみていると、お釈迦様の顔が笑っている。

どんどん、中央のお釈迦様に近づいてみるが、

近づけば普通の顔。

しかし、離れてみると、周囲に描かれた動物に

対して、観に来られた皆さんに対して、アルカ

イックスマイルをたたえているように見えるのだ。

周りの目も気にせず、つい釈迦三尊像の前で手を

合わせてしまった。

「若冲さん、ありがとう」と心の中でつぶやいた。

                                                

そして、とても名残惜しい。この部屋を出たくない。

と思った瞬間。

隣で、女性の方が、係員の方に、きちんと誘導

しないと全然見れないじゃない、とクレームを

付けられていた。

もちろん、ここまで混雑していれば列はなかなか

動かないし、一幅一幅がすばらしい作品である

だけに、すぐに間近でみたいというもどかしさも

よくわかるが、こういう場所でそんなに声を荒立

てなくても・・・

その時、参禅後の法話で最近教えて頂いている                                                    

「至道無難 唯嫌揀択

(しどうぶなんゆいけんけんじゃく)」                            

という言葉がふと頭に浮かんだ。

これは、「道に至ることはそんなに難しいことでは

ない。ただ、選り好みをしなければよいのである」。

という意味であるようだが、ストンと腹に落ちた。

                                                 とはいえ、私の場合、三の丸尚蔵館で一部では

あったものの一幅一幅じっくり見た上で、今回

33幅全部と出会うことを楽しみにしていたので、

こういう余裕ある心持でいられるが、やはり、

若冲が心を込めて精巧に描いたものをじっくりと

味わいたいという方にとっては、難しいことなの

かもしれないと思った。

                                                「至道無難 唯嫌揀択」への道は私自身もまだ遠い。

(追記)

1.「見る者を絵のなかに引きこみ、巻きこむことに

よって、見る者がじつは絵画に巻き込まれた人物と

同じ視座にいること、同等な存在であることを悟らせ、

鑑賞者をして、「自分が何者であるか」を自覚させる

もの」を、involving media というそうだが(『白隠 

禅画の世界』芳澤勝弘 中公新書1799 p172,185)、

33幅すべてが揃ったときに見るものにそういう自覚

を与える仕掛けを意図していたのか、若冲どのは。

(14/June/07記)

2006年8月27日 (日)

一日に、京都と東京で若冲を観る。

8/26(土)東京へ戻る前に、京都細見美術館へ。

どうしても、「糸瓜群虫図」が見たかったのだ。土曜

の午前ということもあり、京の町は比較的静か。中

入ると、他に来ている方はもう一人のみ。そして

目の前には、「糸瓜群虫図」、「雪中雄鶏図」が。。。

もう一人の方が展示室を出て行くと、そこは、自分

と若冲との一対一の真剣勝負の状態に。。。Photo

特に、「糸瓜群虫図」との一対一

勝負は鳥肌が立った。

色々な種類の虫、特に、虫を食べる

虫、花の蜜を吸い、花粉を与える虫、

そしてその子どもはへちまの葉を

食べる。死んでいる虫も。へちまかと

思ったら虫にも見えるし、虫食いのへちまかと思った

ら、へちまの花が咲いている。。。

まだまだ色々な若冲の思いが入っているのだと思

が、「世の理」が凝縮されている素晴らしい画であった。

細見美術館:http://www.emuseum.or.jp/index.html

Photo

                                        もう一つ。ねずみの嫁入りを描いた

作品「鼠婚礼図」もまた秀逸。嫌がる

花嫁を引きずるねずみ。間をおいて、

すでに祝い酒で酔ったのか陽気に

迎え入れようとする婿方のねずみ。

一匹一匹の表情も良いが、両者間の間を埋める

余白の取り方が素晴らしい。花嫁の複雑な心の

ひだがそこには投影されていた。

その後は、東京へ新幹線で移動し、2回目の

プライスコレクション展を観に上野まで足を

伸ばした。若冲のものだけでももう一度観た

かったし、やはり若冲バージョンのルービック

キューブは「買い」かと敢えて足を運んだ次第。

しかし、到着すると20分待ちの表示が。。。

一対一での真剣勝負なんてとんでもない。

少しでも隙間ができればそこに入り込み、何とか

再対面。

しかし、この京都と東京の大きな違いは一体何

なのだろう。

東京への一極集中をここで論じるつもりもないが、

細見氏のような方がいたからこそ、東京以外の

場所でも余裕をもって作者と対峙できる場が持て

たのである。

やはり、東京以外の場での盛り上がりは絶対に

必要である。地域の多様性と地域毎の関係性を

もっともっと広げていく努力は決して失ってはいけ

ない。

それは、まさに若冲が「糸瓜群虫図」に込めた思い

でもあったのではなかろうか。