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カテゴリー「art」の記事

2010年1月16日 (土)

三昧へ。

新年会で僧堂へ。

今回のお題は、

「三昧無碍の空ひろく 四智円明の月さえん」

であった。

                                                     一言で言えば、鏡のようになること。

Aが前にくればAを映す。

Aがなくなれば、Aは消え、

Bが来れば、Bを映す。

とにかく、後をひかないということだ。

そう老師はおっしゃった。

                                                    温かい歓談を終えて、今出川へ移動。

久しぶりの相国寺は人陰もまばら。

釈迦三尊像と動植綵絵があるべき姿で同時に

展示されたあの時の熱狂が嘘のように、

静かな、静かな午後であった。

                                                ほとんどの若冲作品が、その時にも見たもの

であったが、今回釘付けになったのは2つ。

一つは、金閣寺大書院の「月夜芭蕉図」。

あの時はむしろ、有名な「葡萄小禽図」の方に

目がいったが、こんかいはこちら。

                                                静かに見入っていると、

大きな白象の雄叫びと、

大きな鯨が大量の潮を吹く音が聞こえてきた。

そして、次の瞬間そのどちらもいなくなった。

月と芭蕉がただそこにあるのみ。

                                                  続いて見入ってしまったのは、

「厖児戯箒図(ぼうじぎほうず)」。

小犬の前にほうきがあるだけの画。

小犬はそのほうきで掃かれようと

しているようにも見える。

無染浄善、すなわち黄檗宗の丹崖和尚の賛が

付いていた。

                                                仏性須らく有無を問はず

諸塵 三昧 頓より起こる

                                                       まだまだ自分自身の中には塵が多い。

                                                当面仕事上片付けねばならぬことが多々あり、

少々動揺気味の毎日なのだが、

オフィスの机には、

この画のポストカードを置くことに決めた。

2009年11月23日 (月)

無相の相を相として

今となっては2週間前の日曜日。

久しぶりの京都で迎える朝。

1月以来の僧堂で坐った。

やはり慣れた場所ゆえ、

えも言われぬ心地よさがある。

                                                 終わって、老師様の法話。

白隠さんの坐禅和賛の解説も、

「無相の相を相として 行くも帰るもよそならず」

まで来ていた。

                                                 その後は、泉湧寺へ。

特別拝観できた悲田院では、

快慶作の宝冠阿弥陀如来像と対面。

心洗われる端整なお顔立ちであった。

                                                そして、本坊では、楊貴妃観音様とも対面。

こちらも端整だが、少し離れてみているからか、

白くて美しいお顔が闇の中でぽおっと浮んでいる

ようだ。

ずっとずっと手を合わせながら見とれていた。

そんな、感じである。

当然、そこで分けられていた美人守りの人気は

ひっきりなしであった。

別れを惜しんで、塔頭の来迎院へ。

ここの話はまた、改めて。

                                                その後は、三条京阪で、お決まりの「皿盛り」を

頂いて、錦をぶらり散歩して、

京都伊勢丹の美術館「えき」へ。

しめに、円空仏に会えるとは。

                                                          ただの木の切れ端や切り株。

しかし、そこには、観音さまや大黒天さまが

にっこりと微笑んでいらっしゃる。

不動明王の燃え盛る焔も、

見方によっては、ただの木片に過ぎない。

                                                円空直筆の歌もあった。

「いくたびも 絶えても立てる 法の道

96億 末の世までも」

                                                円空の仕事は、無相の相を相として

行くも帰るもよそならぬことを

木片に仏を宿らせることで、

衆生に知らることに徹することであった。

                                                     維新の志士のごとき、その静かなる決意と

激しい決意に胸打たれ、

年末までの課題を心に誓った私である。

2009年11月 2日 (月)

一休み、一休み。

招待券を頂いたので、

建長寺と円覚寺の宝物風入れに伺った。

禅宗のお寺は、

普段、見た目にはそっけない感じだが、

こういう特別展示の場合には底力を発揮する。

                                                 まずは、建長寺。

直筆シリーズがすごい。

足利尊氏。一休さん。

特に、一休さんのそれは、のびのびした書体が

心地よい。

お人柄なのだろう。

そして、建長寺を開山された大覚禅師(蘭渓道隆)

の書跡には静かな迫力がある。

「法語規則」と「罰榜」。

それぞれ、雲水さんの気の緩みを引き締める内容

だが、「日本の禅を緩いものにしてはいけない」

という気合を感じさせる。

それは、あたかもきちんとしたフランスパンを

日本に根付かせようとして譲らなかった

ビゴさんの心意気にも通じる。

                                                  建長寺を後に、北へ歩く。

去来庵に行列がなかったので、

えいっと、中へ入り、久しぶりのビーフシチューを

一人で堪能。正座をして、ぺろっと完食。

                                                そして、円覚寺へ。

こちらは、絵画であっ!と言わされた。

普通に、応挙や雪舟が、柵も、ガラスもなく

掛けてあるのだ。

                                                応挙はおなじみの虎ちゃん。

枯淡な中にも、応挙の虎ちゃんならではの

かわゆげな感じが観る者の心を和ませる。

こんな感じで、すごいものが、ふつーに置いてある

のが禅宗のお寺のすごいところなのだ。

                                                円覚寺のもう一つの目玉は、

普段公開されていない、国宝 舎利殿。

歴史の教科書や資料集には、必ずと言ってよいくらい

載っているものだ。

とにかく、その姿は圧巻である。

私の中で、その圧巻さは、南禅寺と東福寺の三門

に勝るとも劣らない。

しかし、ただの物理的な大きさではないところから来る

その感じは極めて独特であった。

                                                 ところで、今日は連休の谷間であるが、

会社として皆でできるだけ休もうよ、という日なので

休んだ。

正直、速めに片付けるべき仕事はあるし、

いくつか同時並行でこなすべきことも

色々あるのだけど、

一休み、一休みということにしよう。

2009年10月31日 (土)

若冲の十牛図

東北道の栃木ICを降りて、佐野市葛生へ。

セメントと石灰製造のプラントが向こう見える

場所に佐野市立吉澤記念美術館はあった。

最終日の開館数分前だが、団体客を除いて

来場の方は少ない。

                                                   お目当ては、今年重要文化財に指定された

「菜蟲譜」。

植物と虫達を巻物の中に描きこんだもので

あるが、その雰囲気はいたっておとなしい。

金比羅さん奥書院で観た「花丸図」や、

2日前に上野で観た「動植綵絵」のような

壮麗さや精密さ、そして彩りのきらびやかさ

はない。

しかし、そこには、野菜や虫たちがありのままに

生きている。

飾ることもなく、他者を意識することもなく、

そのままに素直に、一生懸命生きている。

                                                 観終わると、遊びのコーナーがあって、

置かれている色鉛筆やクーピーで、

「菜蟲譜」の一部を模写できる企画があった。

私が選んだ題材は、蓑虫くん。

目立たず、ひっそりと

(鳥の襲撃を考えれば当たり前だが)

そこにいた。

ぴんと張った糸の下で、ただひたすら眠って

いるのだ。

その凛とした姿は、上野で観た一本足の小鳥

と重なる。

それはまた、深草の石峰寺の門前で

晩年をひっそりと、しかし作画は旺盛にこなした

若冲翁の生きざまとも重なるのだ。

                                                        今回の展示のなかに、狩野探幽の十牛図があった。

                                                「菜蟲譜」は。ただの生き物の写生画ではなく、

いかにも若冲らしい「十牛図」なのである。

                                                 それは、今これを書きながら飲んでいる、

静岡の「開運」さんのひやおろし(*1)の味のように

枯淡であるが、とても深い。

                                                     (*1)ひやづめ純米 山田錦

  精米歩合55% 土井酒造場

上野の山での再会

10/23(金)は、上野の東国博にて。

10/25(日)は、栃木県佐野市の吉澤美術館にて、

若冲。

                                                 まずは、上野。

動植綵絵は3年前の三の丸、

2年前の相国寺以来。

今出川では、凄まじい熱気の中、

作品に接近するだけで一苦労したが、

今回はそこまででもない。

                                                今回、全30幅の中で一番きになったのは、

「薔薇小禽図」。

ピンクとホワイトの薔薇の花が咲き乱れる中、

一羽の小鳥が片足で立っている。

尾をピンと垂直に跳ね上げて、

凛として一本足で立っている。

しかし、その目は少し笑っているかのようにも、

一本足で立っていることを、どんなもんだいと

少し自慢げのようにも見える。

私が若冲の画が好きなのは、

このユーモアと可愛げなのだ。

金比羅で観た「若冲燕」を思い出した。

                                                    とはいえ、何かが物足りない。

そう。本来は、この動植物達と一体であるべき

「釈迦三尊像」である。

先に感じた熱気の違いはそこにもあったのかも

しれぬ。

                                                   ただ、三尊はいらっしゃらなかったものの、

今回は、「旭日鳳凰図」を間近でゆっくりと

堪能できたのがよかった。

限りなく精密、しっとりと妖艶。

お決まりの朱色だけでなく、

羽のエメラルドグリーンが美しい。

                                                 もちろん、動植綵絵の「老松白鳳図」の白さ極まる

鳳凰もよいが、極彩色のこの鳳凰も素晴らしい。

滋賀で見てきた「象と鯨図屏風」の大胆さとは

完全に対極にある緻密さ、そして、

その落差激しい両方の画を巧みに描く若冲の筆に、

言葉もなく、ただただ見入っているばかりであった。

                                                佐野市の若冲は記事を改めて。

2009年9月23日 (水)

Dou Venons Nous, Que Sommes nous, Ou Allons nous

竹橋の東京国立近代美術館で、

『ゴーギャン展』を観てきた。

一連の作品を観る展覧会はこれが初めてだったが、

観終わってみて2日程経つが、

独特の感じが残ったままである。

この感じを言葉にするのは難しい。

が、敢えて表現しようとすると、

彼の画には、笑顔や躍動感、

そして、ある種のおかしみのようなもの、

言い換えれば、ほんの少しのボケがないのだ。

                                                彼の表現を借りれば、彼の画は、

「私の中の抑えようない野蛮人」

が描かせたものである。

一方で、彼の中には、

「感じやすい人間」も住んでいるという。

                                                     彼の一生を追ってみると、

生後すぐに家族は共和派への弾圧を逃れる

ためにペルーへ退避。

その移動中に父が死去。

7歳の頃、フランスに戻り、19歳の時に母が死去。

株式仲買人として勤め、結婚。

しかし、絵画への情熱が捨てられず35歳で退職。

生活困窮が続く中、妻と子どもは妻の実家に別居。

ポスター貼りやパナマ運河の土方で生活をしのぐ。

タヒチに移っても生活困窮は続き、健康状態も悪化。

加えて、タヒチを舞台とする作品もパリでは評価されず。

さらには、娘の死をタヒチで知る。

                                                ただでさえ、これだけの波乱があれば、

相当こたえるはずなのに、

感受性が強い彼であればなおさらだったであろう。

そのような、絶望の淵で描かれたのが、

今回展覧会のメインである、

「我々はどこから来たのか、

我々は何者か、

我々はどこへ行くのか」である。

                                                その画の中の部分部分が何を暗示しているのか、

という謎解きを楽しむのも面白いのかもしれないが、

それよりも何よりも、

この画全体が彼にとってどういう意味を持つのだろう。

ということをずっと考えている。

                                                 彼自身、

「ひとりの人間の作品とは、その人間を語っている」

と言っている通りなのだろう。

2009年9月13日 (日)

若冲ワンダーランド

滋賀のJR石山駅からバスで50分。

奥深い緑の中にその桃源郷はあった。

MIHO MUSEUMへ到着。

受付をして、美術館へは、徒歩7~8分という。

迷わず、電気自動車ではなく、歩いた。

緑と心地よい風の中を歩くと、

身心ともに浄化されたようだ。

そして、ワンダーランドのはじまり。はじまり。

最近の展覧会では、あまり見ることの少ない、

モノクロの若冲ワールドがこれでもかと、

押し寄せてくる。

しかも、観客はまばら。

この奥地ならではであろう。

                                                今回のポイントは三つ。

まずは、『月夜百梅図』(28)。

展示、証明の仕方も良かった。

薄暗い証明の中で、

満月と白梅がほのかに浮び上がる。

見ていると吸い込まれそうになる。

妖艶な感じすら、ある。

これまでの若冲の画ではあまり感じたことがない

感覚であった。

でも、いい。

この画を暗い中で眺めながら、美味しい日本酒。

うーん。この時期なら、ちいと濃厚なひやおろしを

人肌燗くらいで飲んだら最高であろう。

BGMは、イタリアンオペラあたりか。

                                                 さて、next one。

これは、とても小ぶりなもの。

『鶺鴒図』である。

後でふれる、大きな象さんや鯨さんに比べれば、

ありさんのごときものにすぎぬ。

しかしながら、そのちいちゃなセキレイくんの

目には、しっかりとした意思が宿っている。

金刀比羅宮で見た、「若冲つばめ」同様の、

生きていく強い意思を感じる目である。 

                                                                          

                                                 そして、真打ちは言うまでもない。

今回はこれを見に、甲賀郡までやってきたと

言っても過言ではない。

本Planet初公開。

『象と鯨図屏風』。

ましてやこれを、一人占めできるとは

思ってもみなかったが、

言葉での説明はもはや不要である。

だって、象さんも鯨さんも、そして若冲先輩も、

超音波でコミュニケーションを図っていたのだから。

観るものも言葉を使ってはいけない。

                                                    両図の真ん中に立って、どんどん離れた。

展示室も出てしまった。

でも、人垣はまったくないので、

視界が遮られることはない。

両図が視野に入るくらいまで離れてみた。

このPlanet全体の雄叫びが聞こえてきた。

                                                 この雄叫びこそ、この画の真骨頂である。

2008年9月20日 (土)

憐れな土左衛門

「レアティーズ: 溺れて? 一体、どこで?

王妃: 柳の木が一本、小川の上に差しかかって、

 白い葉裏を流れの鏡に映しているところ。

 あの娘は柳の葉を使って、きんぽうげ、いらくさ、

  ひなぎく、

 それに口さがない羊飼いたちが淫らな名で呼び、

 純潔な乙女たちは死人の指と呼んでいる紫蘭をそえて、

 きれいな花環を上手につくり、

 その花の冠を枝垂れた枝に掛けようと、

 よじ登った途端、枝は情(つれ)なく折れて、

 形見の花環もろとも、

 哀れにむせぶ小川に落ちました。

 裳裾はひろがり、しばらくは人魚のように川面を

  ただよいながら、

 古い賛美歌を口ずさんでいたといいます。

 身に迫る危険も知らぬげに、

 水に生れ水に馴れ親しんだ生物のように。

 でも、それも束の間、裳裾はたっぷりと水を吸い、

 あのかわいそうな娘を美しい歌声から引き離して、

 川底の泥のなかに引きずりこんでしまったのです。」

                                                                 ジョン・エヴァレット・ミレイ(John Everett MILLAIS)

は、父を恋人に殺され、その恋人から「尼寺へ行け」

とののしられ、

「狂乱の体(てい)」となって非業の最期を遂げた彼女

を描きこんだ。

                                                 まずは、背景となる自然の描きこみ方が

半端ではない。

近づいて見れば見るほど、

集中すればするほど、

様々な色の花や緑が、丁寧に、あたかも目の前で

生きているかのごとくに描き込まれている。

そして、流れる川の清らか水も、そう。

そういう場所では、彼女は流され、

川の深みへと徐々に沈んでいく。

決して、慌てふためくという風ではなく、

自らの運命を受け入れるかのように。

                                                    一方、那古井の温泉で青年画家は考えた。

                                                         「成程この調子で考えると、

 土左衛門は風流である。

 スウィンバーンの何とか云う詩に、

 女が水の底で往生して嬉しがっている感じを書いて

 あったと思う。

 余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリアも、

 こう観察すると大分美しくなる。

 何であんな不愉快な所を択んだものかと今まで

 不審に思っていたが、あれは矢張り画になるのだ。

 水に浮んだまま、或は水に沈んだまま、

 或は沈んだり浮んだりしたまま、

 只そのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に

 相違ない。

 ・・・痙攣的な苦悶は固より、全幅の精神をうち壊すが、

 全然色気のない平気な顔では人情が写らない。

 どんな顔をかいたら成功するだろう。

 ミレーのオフェリアは成功かも知れないが、

 彼の精神は余と同じ所に存するか疑わしい。

 ミレーはミレー、余は余であるから、

 余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて

 見たい。」

                                                   しかし、この気持ちは、

作者である漱石の気持ちであろうと思う。

漱石はこの『草枕』の中でそういうことを

書きたかったと思うのだ。

ただ風流なだけではない、

ただ自然を模したのではない、

人間の生々しく激しい心の動き、情念のようなもの

を書き込みたかったと思うのだ。

                                                私は、金曜夜の渋谷の静かな会場で、

漱石がロンドンで見たオフィーリアと対面しながら、

とても死と格闘しているとは思われない、

その彼女の姿が、

ロシアの戦場に向かう髭だらけの野武士のような

男、いや最愛の元夫と、別れた瞬間に、

ただただ呆然と汽車を見送るしかなかった

「那美さん」の「憐れ」な姿と重なってしまった。

                                                     よく考えれば、オフィーリアも那美さんも

周囲からは気がふれていると思われていた。

しかし、人間の心とはそんな単純なものではない。

「普通」の人も、周囲からそう思われているという人

紙一重のようなところもあるし、

明確に線が引けるようなものではない。

                                                       会場に話を戻すと、

ミレイの本作の秀作が横に展示してあった。

こちらのオフィーリアの表情は、

あたかも川に落ちて狼狽する感じそのもの。

                                                本作のオフィーリアの表情は、

秀作とは明らかに異なる。

それは、

私のような凡才がここで書けるようなものではない。

それが書けるのは、漱石のような本物の文学者

だけなのだ。

                                                次回熊本に帰省した時には、再び漱石も浸かった

那古井のぬるめのお湯に浸かって、

オフィーリアのことをゆっくりと考えてみることにしよう。

                                                 引用文献)

『ハムレット』シェイクスピア、野島秀勝訳、岩波文庫

『草枕』夏目漱石、新潮文庫

 

2008年9月13日 (土)

Vermeer1

今年の東京はいい。

だって、

「ちょっとフェルメール観てくるわ」ってなもんで

気軽に見に行けてしまうのだ。

しかも、12月まで。

これから、展示順に備忘を付していきたい。

                                                     今回は、『マルタとマリアの家のキリスト』。

                                                新約聖書(ルカによる福音書)を典拠とする

宗教主題の定番のようだが、

まずは3人の人物配置に安定感がある。

この安定感が観る者に心の平安をもたらし、

それからはゆったりと鑑賞に没頭できる。

                                                  この場面は、キリストが姉妹の家を訪れた時の

こと。

食事の支度をするマルタをひとりにして、

マリアはキリストの下に座り一心に彼の話に

耳を傾ける。

もてなしの準備はすべて私がやっていると不平を

言う姉に対して、キリストが、

「マリアはよい方を選んだのだ。

彼女からそれを取り上げてはいけない」と諭す

場面だそうである。

                                                            これに対しては、

マルタがカトリックを象徴し、その「活動的生活」と、

マリアがプロテスタントを象徴し、

その「瞑想的生活」との両方の功徳を具現化した

ものであるという解釈や、

マルタの焼いたパンを物欲主義の象徴とし、

それを戒めたという解釈等があるそうだ。

                                                  しかし、そういう宗教的な解釈だけではつまらない。

ここで私が気になるのは、

熱心にキリストの話に耳を傾けている横顔だけが

見えるマリアと、

パンを給仕しつつも、すこし不満そうなマルタの

表情である。

                                                 もちろん宗教的な意味合いを否定するものではない

のだが、

ここではむしろごく普通の姉妹間に日常的に

起こる心理的なせめぎあいの瞬間を見るのである。

マリアは確かにキリストの話に傾聴しているが、

心のどこかにキリストを想う気持ちがありはしないの

だろうか。

もちろん、同じ女性としての気持ちがマルタにも

ある。

                                                   しかし、こういう局面、すなわち、あのキリストさまが

我が家に来られた時にお構いなしというわけには

さすがにいかない。

キリストの話をすぐにでも聴きたくても、

何かお出ししなければ、

そう、考えるのがごくごく自然だと思うのだ。

しかも、そういう場合に泣く泣く準備するのは

いつもお姉ちゃん。

妹はといえば、こういう時に抜け目なくうまくやって

しまう。

                                                        「マリアずるいわ」

「お姉ちゃんだって、いい人ぶっちゃって、なによ」

                                                姉妹の間でありがちな神経戦の始まり始まりである。

                                                        そういう裏読みをする余裕を観る者に与えてくれる程

真に迫った場面を描くことができるのが、

フェルメールであるし、

だからこそ、彼の画に多くの人が惹きつけられる

と思うのである。

                                                超勝手な解釈も、今日はこのくらいにしておこう。

2008年9月 7日 (日)

有言実行の極み

東京での生活を再開して2カ月が経とうとしている。

通勤時、電車に乗っている時間が長いので、

読む本の量も増える。

このブログは読書日記の代わりにも活用している

ので、当然記事も増える。

                                                      今回は、漱石の『文芸の哲学的基礎』

(講談社学術文庫 1978)。

1907年(明治40年)4月の東京美術学校での講演

である。

明治40年4月といえば、

思い切って大学教師の職を辞し、

春寒の京都への旅から帰ってきたころか。

作品で言えば、『二百十日』、『野分』の後、

『虞美人草』前夜である。

                                                漱石は、芸術家の卵たちを前に、熱く語る。

文芸家(これは芸術家と読み替えてもよかろうが・・・)

は、「理想」をその作品に表すべきだと言う。

                                                             ここで言う「理想」とは、「真の一字にあるに相違ない」。

言い方を変えれば、

「いかにして生存するのがもっともよきかの問題に

対して与えたる答案」

である。

                                                 さらに言い方を変えれば、

「人生に触れる」ことである。

                                                  そして、文芸家の「理想」が完全なる技巧をもって

その作品に表現され、

それに接する者、すなわち鑑賞者の方でも

それを受け入れることができる程成熟している時に

鑑賞者は「還元的感化」を受ける。

                                                換言すれば、

文芸家と鑑賞者の「一致した意識の連続が我々の

心のうちに浸み込んで、作物を離れたる後までも

痕跡を残す」のである。

                                                そうなれば、

「文芸家の精神気魄は無形の伝染により、

社会の大意識に影響するがゆえに、

永久の生命を人類内面の歴史中に得て、

ここに自己の使命を完(まっと)うしたるもの」

となるのである。

                                                    この講演後、

『虞美人草』、『三四郎』、『それから』、『門』

といった作品が次から次へと、

精力的に産み出されていく。

                                                有言実行の極みである。

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