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2009年11月

2009年11月23日 (月)

無相の相を相として

今となっては2週間前の日曜日。

久しぶりの京都で迎える朝。

1月以来の僧堂で坐った。

やはり慣れた場所ゆえ、

えも言われぬ心地よさがある。

                                                 終わって、老師様の法話。

白隠さんの坐禅和賛の解説も、

「無相の相を相として 行くも帰るもよそならず」

まで来ていた。

                                                 その後は、泉湧寺へ。

特別拝観できた悲田院では、

快慶作の宝冠阿弥陀如来像と対面。

心洗われる端整なお顔立ちであった。

                                                そして、本坊では、楊貴妃観音様とも対面。

こちらも端整だが、少し離れてみているからか、

白くて美しいお顔が闇の中でぽおっと浮んでいる

ようだ。

ずっとずっと手を合わせながら見とれていた。

そんな、感じである。

当然、そこで分けられていた美人守りの人気は

ひっきりなしであった。

別れを惜しんで、塔頭の来迎院へ。

ここの話はまた、改めて。

                                                その後は、三条京阪で、お決まりの「皿盛り」を

頂いて、錦をぶらり散歩して、

京都伊勢丹の美術館「えき」へ。

しめに、円空仏に会えるとは。

                                                          ただの木の切れ端や切り株。

しかし、そこには、観音さまや大黒天さまが

にっこりと微笑んでいらっしゃる。

不動明王の燃え盛る焔も、

見方によっては、ただの木片に過ぎない。

                                                円空直筆の歌もあった。

「いくたびも 絶えても立てる 法の道

96億 末の世までも」

                                                円空の仕事は、無相の相を相として

行くも帰るもよそならぬことを

木片に仏を宿らせることで、

衆生に知らることに徹することであった。

                                                     維新の志士のごとき、その静かなる決意と

激しい決意に胸打たれ、

年末までの課題を心に誓った私である。

2009年11月14日 (土)

纆向遺跡を歩いた。

11月7日(土)。

奈良は暑かった。

11月とは思えない日差しが肌を刺す。

某社社長を隊長とする、歴史を歩こうツアーも

第6回を迎える。

今回のテーマは、邪馬台国近畿説で今話題の

巻向(纆向)遺跡である。

                                                  JR柳本駅で降りて、まずは黒塚古墳へ。

きれいな前方後円墳である。

宮内庁の管轄ではないので、その上に直接登れる。

登ってみると、確かに後円の傾斜を体感できた。

隣接する天理市黒塚古墳展示館には、

竪穴式石室とそこに置かれた副葬品である

三角縁神獣鏡のレプリカもあり、

入門編としては最適であった。

                                                次に向かったのは、崇神天皇陵。

黒塚に比べれば、しっかりと宮内庁管轄であり、

規模も大きく、当然みだりに立ち入り禁止である。

しかし、びっくりしたのは、そのお濠である。

斜面に造られたものであり、

お濠に段差がついているのだ。

この土木技術のレベルは高いし、

やはり相当な権力者が、生前からその力に

もの言わせて作らせなければできない代物である。

                                                  さらに、景行天皇陵、珠城古墳群を経て、

いよいよ今回のクライマックス、箸墓古墳へ。

ここも宮内庁管轄であり、倭戸迹迹日百襲姫命

(やまとととひももそひめのみこと)の陵墓との

ことで、第7代孝霊天皇息女の墓とされている。

                                                 しかし、一皇女の墓としては、あまりにも大きすぎは

しないか。

周囲にある同規模の墓は天皇のものばかりなのに。

確かに、そこに若干の違和感が残る。

我らが隊長はその違和感に大きく注目している。

                                                 この数日後、日経新聞の一面に目を見張った。

桜井市が、纆向遺跡で3世紀前半の大型建物跡を

見つけたと発表したのである。

まずは、今回のコースを選定された隊長の慧眼に

脱帽なのだが、上記の違和感を日本人全員が解消

するためには、管理元の英断に期待するしかないと

強く思った。

後は、現場現物でけりをつけるしかない。

それは、我らの祖先のことを正確に認識するために

今こそ必要な大英断なのだ。

ここ掘れワンワン。

2009年11月 2日 (月)

一休み、一休み。

招待券を頂いたので、

建長寺と円覚寺の宝物風入れに伺った。

禅宗のお寺は、

普段、見た目にはそっけない感じだが、

こういう特別展示の場合には底力を発揮する。

                                                 まずは、建長寺。

直筆シリーズがすごい。

足利尊氏。一休さん。

特に、一休さんのそれは、のびのびした書体が

心地よい。

お人柄なのだろう。

そして、建長寺を開山された大覚禅師(蘭渓道隆)

の書跡には静かな迫力がある。

「法語規則」と「罰榜」。

それぞれ、雲水さんの気の緩みを引き締める内容

だが、「日本の禅を緩いものにしてはいけない」

という気合を感じさせる。

それは、あたかもきちんとしたフランスパンを

日本に根付かせようとして譲らなかった

ビゴさんの心意気にも通じる。

                                                  建長寺を後に、北へ歩く。

去来庵に行列がなかったので、

えいっと、中へ入り、久しぶりのビーフシチューを

一人で堪能。正座をして、ぺろっと完食。

                                                そして、円覚寺へ。

こちらは、絵画であっ!と言わされた。

普通に、応挙や雪舟が、柵も、ガラスもなく

掛けてあるのだ。

                                                応挙はおなじみの虎ちゃん。

枯淡な中にも、応挙の虎ちゃんならではの

かわゆげな感じが観る者の心を和ませる。

こんな感じで、すごいものが、ふつーに置いてある

のが禅宗のお寺のすごいところなのだ。

                                                円覚寺のもう一つの目玉は、

普段公開されていない、国宝 舎利殿。

歴史の教科書や資料集には、必ずと言ってよいくらい

載っているものだ。

とにかく、その姿は圧巻である。

私の中で、その圧巻さは、南禅寺と東福寺の三門

に勝るとも劣らない。

しかし、ただの物理的な大きさではないところから来る

その感じは極めて独特であった。

                                                 ところで、今日は連休の谷間であるが、

会社として皆でできるだけ休もうよ、という日なので

休んだ。

正直、速めに片付けるべき仕事はあるし、

いくつか同時並行でこなすべきことも

色々あるのだけど、

一休み、一休みということにしよう。

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