Dou Venons Nous, Que Sommes nous, Ou Allons nous
竹橋の東京国立近代美術館で、
『ゴーギャン展』を観てきた。
一連の作品を観る展覧会はこれが初めてだったが、
観終わってみて2日程経つが、
独特の感じが残ったままである。
この感じを言葉にするのは難しい。
が、敢えて表現しようとすると、
彼の画には、笑顔や躍動感、
そして、ある種のおかしみのようなもの、
言い換えれば、ほんの少しのボケがないのだ。
彼の表現を借りれば、彼の画は、
「私の中の抑えようない野蛮人」
が描かせたものである。
一方で、彼の中には、
「感じやすい人間」も住んでいるという。
彼の一生を追ってみると、
生後すぐに家族は共和派への弾圧を逃れる
ためにペルーへ退避。
その移動中に父が死去。
7歳の頃、フランスに戻り、19歳の時に母が死去。
株式仲買人として勤め、結婚。
しかし、絵画への情熱が捨てられず35歳で退職。
生活困窮が続く中、妻と子どもは妻の実家に別居。
ポスター貼りやパナマ運河の土方で生活をしのぐ。
タヒチに移っても生活困窮は続き、健康状態も悪化。
加えて、タヒチを舞台とする作品もパリでは評価されず。
さらには、娘の死をタヒチで知る。
ただでさえ、これだけの波乱があれば、
相当こたえるはずなのに、
感受性が強い彼であればなおさらだったであろう。
そのような、絶望の淵で描かれたのが、
今回展覧会のメインである、
「我々はどこから来たのか、
我々は何者か、
我々はどこへ行くのか」である。
その画の中の部分部分が何を暗示しているのか、
という謎解きを楽しむのも面白いのかもしれないが、
それよりも何よりも、
この画全体が彼にとってどういう意味を持つのだろう。
ということをずっと考えている。
彼自身、
「ひとりの人間の作品とは、その人間を語っている」
と言っている通りなのだろう。


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