拝啓、表三郎先生。
表 三郎。
私の人格形成に、確実に大きな影響を与えてくれた
一人である。
熊本の高校生が京都堀川丸太町の予備校に来て
一番に度肝を抜かれたのが表先生の講義であった。
ただの英語の授業なのに、
なぜここまで脱線するのか?
たった一文の和訳なのにも拘わらず、
大きな通る少し高い声で、深く、広く、しつこいほどに
解説をしてくれた。
しかも、学生時代はバリバリの学生運動の活動家
だったという。
その講義の面白さには時間も我も忘れて没入した。
多分、その時の私は口を開けたままで、
先生の話を聞くことに没頭していたに違いない。
ヴィドゲンシュタインの
「語りえぬものには沈黙しなければならぬ」。
シニフィアンとシニフィエ。
マラルメの詩集。
私がマーラーの交響曲を愛するようになったのも
先生のせいですぞ。
しかし、なぜ先生はそこまで自信を持って、
「脱線」していたのか?
その答えが、20年経った今明らかにされた。
「私は、英語理解は、受験勉強だけでは得られない
ことがわかっていたからだ。
英語を理解することは、究極的には英語を使う人を
理解することにほかならない。
人を理解するためには、自分を理解することが必要
であり、そこを突き詰めていくと、
どう生きるべきかという問題にまで至る。」
(『問いの魔力』サンマーク出版、2008)
そんな先生の薫陶を受けることができて本当に
よかったと思っている。
最後、第一志望校には受からなかったが、
それよりも何よりも、先生に出会って、
その場の空気を共有できたことが何よりも
よい肥やしになっているような気がするのだ。
しかし、先生。
どう生きるべきか、未だに悩んでいます。
悪戦苦闘の毎日ですが、
まだまだ泥だらけのじゃがいもですが、
いつかは美味しいマッシュポテトになれれば
いいなと思って日々生きています。
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