「超克」か。
ちょうど昨年の今頃読んだ、
波頭亮さん茂木健一郎さんの対談
『日本人の精神と資本主義の倫理』(幻冬舎新書58)
を読み返してみた。
まえがきの1ページ目から、茂木先生の
格好良い言葉が目に飛び込んできた。
「怒りはそのままでは建設に通じず、
愛に変容してこそ社会のためになる」
そして、その
「怒りとは、差異に対する感覚の表出である。
・・・現実と理想の間の距離が埋めがたい
ものに思える時、怒りが生じる。」と。
ここで「理想」と聞いて、
漱石が講演『文芸の哲学的基礎』の中で、
「理想とは何でもない。
いかにして生存するがもっともよきかの問題
に対して与えたる答案に過ぎん」
「文芸は感覚的なある物を通じて、
ある理想をあらわすもの」
「この理想を実現するのを、人生に触れると
申します」
と言っていたことを思い出した。
[→2008.9.7記事参照]
一方、波頭先生は同書の中で、
「プロフェッショナル」について、
カネを稼ぐかどうかという点がその本質的要件
ではなく、
それ以上に、「公益性」、「使命感の有無」という
方にこそ本質があると言う。
言い換えれば、「ノーブレス・オブリージュ」である。
こうなると、さらに思い出すのが、先般読んだ
チクセントミハイ教授の
『フロー体験とグッドビジネス』(世界思想社、2008.8)
である[→2008.9.15記事参照]。
そこで先生は、
ビジネス組織の中で従業員にフローが生じるための
重要な要素として、リーダーのビジョンに、
「可能なかぎり最高の仕事をすること」
「人類と環境を救うこと」
「宇宙の意志に従うこと」
の一つが必要であること。
そして、
「組織は組織そのものを超えた意志をもっており、
他のシステムを救うため・・・に手を差し伸べる。」
というが、
これこそまさに、公益性と使命感の有無である。
以上を総合すれば、
文芸を含む芸術だけではなく、
ビジネスにおいても、
常に、目先の利益のみに囚われることなく、
全体感の中での理想を持って、
その上で現状に対する怒りを持って、
それを愛情に変えて、
仕事に没頭することが世の中のためにも、
会社のためにも、
自分の成長のためにもなるのだ
という結論が出る。
と、格好つけて書いちゃうことは簡単なんだが・・・
きっと、同書の中で茂木先生が引用していた
小林秀雄の言う「超克」ということは
そういうことなのかもしれない。
あきらめずに、くじけずに、
実践あるのみということか。


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