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2008年6月

2008年6月21日 (土)

四川大地震チャリティコンサート

6/21(土)。

朝7時半の小倉発の新幹線で大阪へ戻ってきた。

少し休憩して、目指すは西宮北口。

長く心待ちにしていた、佐渡裕さんプロデュースの

『メリー・ウィドウ』の幕が開く。

                                                            と、今日はここまでにしておこう。

詳細の感想は、公演期間が始まったばかりなので、

しばらくお預けとする。

                                                           ところで、先日の兵庫芸術文化センター管弦楽団

の定期演奏会のプレトークで佐渡さんから紹介の

あった、

四川大地震のためのチャリティコンサートの詳細

が以下の通り決まったので記します。

                                                                *日時:8月4日(月)14:00開演

*場所:兵庫県立芸術文化センター 大ホール

*題名:四川大地震 心のチャリティコンサート

     兵庫から四川へ

                                                          そのプレトークで、佐渡さんは言っていた。

「心の復興こそが大事なんです」と。

                           以上

2008年6月16日 (月)

MAY 18

もう一つ。

1956年のハンガリーに続き、

詳しく知ることはないことであった。

                                                           その当時、私は中学2年生。

かすかに、その頃の私には聞き慣れない、

「非常戒厳令」。

という言葉の記憶がかすかに残っている。

何かコワいことが起きている、

というくらいの記憶しかない。

むしろ、モスクワ五輪のボイコット。

米国でやけに明るい大統領が選ばれたなぁ。

という記憶の方がより鮮明である。

                                                            そういう意味では、

今さらながら、

まさに「近くて遠い国」であったのだな、と思う。

(*1)

                                                              しかし、一般市民が自らの尊厳を守るために

立ち上がる所は、ハンガリーと同じでも、

根本的な構造は大きく異なるようだ。

どちらかといえば、この518は、

元大統領の私欲のための弾圧に端を発している

と言えよう。

北に対して、自分を中心に一致団結するための

弾圧であったのだ。

                                                            今回の映画でも、

話の機軸の一つは、ともに戦う若い男女であるが、

そこに一貫して安定感と真実味を加えていたのは、

むしろ、元空挺特別部隊予備役大佐で、

今はタクシー会社の社長である

パク・フンスの役割設定と、

それを見事に演じたアン・ソンギである。

                                                            市民部隊をまとめるパクは、

米国の空母が来たり、

ニュークタイムズが事件を一面で取り上げたことに

対して、

助け舟が来た、とお祭り騒ぎになりかける部隊に

冷静になれ、と諭す。

ここは米国や国連の助けを信じた、

というか、信じざるをえなかったハンガリーの場合

とは若干違うようだ。

(あくまで映画の中でのことだが・・・)

                                                          むしろ、それでも、両方の市民ともに、

戦わざるを得なかった。

大切なものを守るために戦わざるを得なかったのだ。

きっとそれこそが、

こういうことに共通する本質なのであろう。

                                                              『光州5・18』を観た。

                                                       (*1)まさに、村田晃嗣先生(同志社大)が、

「当時の韓国はしばしば独裁国家と形容され、

そのイメージは今日の北朝鮮並みに暗かった」

(『プレイバック1980年代』文春新書、2006)と

表現されている通りである。

2008年6月15日 (日)

久しぶりの山行

6/14(土)。

8:41に比叡山坂本駅を出発。

日吉神社の参道が美しい。

いつの間にか山道に突入。

だらだら続く道をひたすら登る。

                                                            途中で横道にそれ、5分程で花摘堂跡へ。

9:30である。

石碑があるのみだが、子を思う最澄の母が

女人禁制の山でぎりぎり入ることができたのが

ここ。

いわゆる「女人結界(にょにんけっかい)」の外

にできた「女人堂」である(*1)。

                                                          いずれにせよ、多くのの女性の様々な思いが

詰まっている場所なのだろう。

先を急ぐ。

横川との分岐には石仏が。

329

                                                       急坂をぐんぐん登る。

様々な鳥の声が聞こえて、心地よい。

しかし、延暦寺会館裏の舗装道路はきついなぁ。

さあ、いよいよ着いたぞ。文殊楼。

10:18だ。

赤い外観と花頭窓が美しい。

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                                                              根本中道へ降りる。

観光シーズンの谷間で人は少ない。

心静かにお参り。

不滅の法灯が穏やかに静かに灯っていた。

その隣では、護摩が焚かれていた。

バチバチと護摩が燃える音、

静かな経文が、堂内に静かに響き渡る。

                                                              心穏やかになった後は、阿弥陀堂の裏から

比叡山頂を目指して登る。

11:05に広場到着。

大比叡の矢印に従いさらに歩く。 

                                                           そうしたところが、

どうも大比叡を通過して阿弥陀堂の裏まで

戻ってきてしまった。

鐘の音が近づいていたので、もしや

と思ったが、完全なる間違い。

一気に降りてきた急坂を登り、

無事に大比叡を発見。

                                                            これはわかりづらい。

入口に表示がないので、普通にしていると

通過してしまう。

12:00。

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座るところもないので、

立ったままおにぎりを2個頬張る。

そこから、少し降りた頂上駐車場から見た

大津方面はこんな感じ。

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                                                          さあ山を降りよう。

どんどん下る。

深いV字路が続く。

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342

まさに切り通しといった感じ。

雲母坂(きららざか)である。

最澄も、法然も、親鸞も、日蓮も、道元も

汗して登った坂である。

蛙さんも見送ってくれた。

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上を見上げると、緑の間から漏れる陽光

もきらきら輝いていた。

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                                                         やっと登山口に降りてきた。

13:20。

                                                           そこから、てくてく一乗寺まで歩いて、

「つばめ」さんでオオヤコーヒーを頂いて

ほっと一息。

                                                              久しぶりの山行は、やはり少し疲れた。

                                                                 (*1)この制度は「インドにも中国にもない、日本独自の

制度」だという。同書における、若桑先生の、仏教や

キリスト教が女性の救済をどのように考えていたのか

に関する記述は、明らかに「脱線」であるが、

女性としてのその「思い」は十分に伝わってくるし、

考えさせられるところが極めて大である。

(若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ 上』集英社文庫2008)

2008年6月14日 (土)

PAC 第17回定期演奏会

先週の金曜日のこと。

まさか本当に行けるとは思っていなかった。

週明けには重要な意思決定の会議がある。

一生懸命準備はした。

とはいえ、過去の経験から言えば、、、

                                                           午後に入り、だんだんと行ける可能性が高まり

始めた。

それと同時に、頭の中で音が鳴り始めていた。

カッコーの鳴き声のような軽快な感じの第一楽章。

力強さを増す第二楽章。

葬列の場面を描いたと言われている第三楽章。

烈しく荒ぶる第四楽章。

面白いことに、意識しているわけではないのに、

あの曲の旋律が次々と私の頭の中を駆け巡る。

                                                             終業時間が近づくにつれ、

行ける可能性がどんどんと高まる。

終業間際。

改めてボスに確認。

                                                           「よし、これで行こう。」

「はいっ。」

もうその時点で、私の頭の中では、

第四楽章のクライマックスが鳴り響く。

                                                     終業時間となった。

                                                              週明けの出張の用意を整えて、

阪急神戸線で西宮北口を目指す。

既に見慣れた木のぬくもりがいっぱいの

劇場が見えてきた。

精神的な緊張を強いられる一週間であったため

とにかく開放感に浸りたい。

ホールバーでビールを注文。

うまいなぁ~と飲んでいると、

佐渡さんがプレトークをするとのアナウンスが。

ビールを飲み込み、慌てて席につく。

                                                          佐渡さんの登場。

生でお目にかかるのは三回目。

四川の地震のためのチャリティコンサートを

8月に開催したいとのアナウンス。

即座に客席から拍手が沸き起こる。

この劇場において、その意味は深い。

佐渡さんの目頭も若干熱くなっていた。

そして、今回の曲目。

バーンスタインの『セレナード』と、

マーラーの『交響曲第一番』について

丁寧に解説をしてくれた。

                                                           数分後に演奏が始まった。

                                                              舞台の木材の香りがする。

演奏する皆さんの息遣いが聞こえる。

楽譜をめくる音も。

たまには、なにかが落ちたりする。

そして、指揮者の佐渡さんのうなり声。

ちょっと、それはうなり過ぎでしょ。

と、イエローカードを出したくなるくらいうなる。

                                                        セレナードの演奏は、とても丁寧。

メリハリがすごい。

聴く者からしても、一瞬たりとも緊張感が抜ける

ことがないくらいの丁寧な演奏。

とはいえ、後半のジャズっぽくなる部分では

つい体を揺らしてしまうほど、超jazzy!

Bravi!

                                                                休憩を挟んでいよいよ、私の大好きな曲が

始まった。

引き続き、丁寧な丁寧な演奏。

これが良いのだ。

基本に忠実であることこそ王道だ。

                                                 クライマックスに近づく。

雷鳴だ。

目の間に落ちる雷鳴だ。

先日の夜中。

大阪地方はとてつもない雷雨であった。

私の住んでいる13階からは目の前にどんどん

落ちる。

自分のマンションにも落ちた。

                                                                  しかし、今日の演奏の方が烈しい。

実物よりも烈しい。

                                                              えっ、もう終わり?

                                                               兵庫芸術文化センター管弦楽団(PAC)の皆さんの

がんばりに感謝するしかない。

ひたすら拍手を送るしかない。

お一人お一人が、

とてもすばらしい演奏でした!

                                                     最期に、私の座席は、

A列16番。

一番前のど真ん中少し左である。

こういう場所でしか体験できないこともある。

                                                           私が最初に本格的なコンサートホールで聴いた

のもマーラーの一番であった。

平成3年の秋のサントリーホール。

ケルン放送交響楽団。

ベルティーニさんの指揮であった。

                                                             そこには、興奮のあまり、熊本の実家の両親に

電話せざるにおれない私がいた。

就活の汗がしみ込んだ、まだまだ慣れない

スーツを着ていた私であった。

                                                                もう、あれから17年。

今日もスーツを着て聴いていた。

2008年6月12日 (木)

Albert Anker

6月初日は、朝から坐って、若冲や其一を観て、

六花さんでほっこりランチを頂いただけでは

終わらなかった。

                                                              京都駅の、美術館「えき」kyotoへ。

初めての対面となるアルベール・アンカーの

作品展である。

こんな人がいたとは。

こんな画があったとは。

入口から出口まで、文字通り驚嘆の連続であった。

                                                              極めて高い写実性。

それを裏打ちする安定感のあるデッサン力。

そしてどの画にも底流で通じる人間への深い愛情。

特に、子どもと老人への彼のまなざしは優しく深い。

あまり言葉を弄したくもないが、

今回感じたポイントは大きく以下の2つである。

                                                               1.ほんとに寝てるの?

少女は家の仕事の手伝いでへとへとであった。

しかし親に言われて、なんとか花(ライラックか?)を

摘んで来た。

お勤めを果たしたと思って、ベンチに座ったとたんに

睡魔が襲ってきた。

急激に深い眠りに落ちた。

その子の口から、

スーッ。スーッ。

と寝息が漏れている。

本当にその画を観ていると寝息が聞こえてくる。

スーッ。スーッ。

こちらまで、スーッ。スーッ。

『木のベンチで眠る少女』である。

                                                         その他にも、

おじいさんの膝で眠る少女と、

その娘の寝顔を見ながら、ついうとうとしている

おじいさん。

                                                         一心不乱に本を読むお姉さんの膝で眠る妹、

というような情景を描いたものもあった。 

                                                              しかし、2歳で逝ってしまった長男、

リューディくんと、その2年後に亡くなった、

生まれて数ヶ月のエミールくんの

死の床についている姿は痛ましい。

そこではスーッは決して聞こえてこない。

ひたすら静寂があるのみ。

                                                            そういう微細な音まで描きこんでいるアンカー

には脱帽するしかなかった。

                                                       2.指先を鍛えよう!

アンカーの子どもへの愛情は深い。

その愛情は子どもの教育行政のあり方にまで

及び、アンカー自身が教育委員会の事務局長

となって積極的に関与したくらいである。

                                                               彼の画を観ていると、文字による勉強が大切である

だけでなく、

いかに手先を細かく動かすかの訓練をすることが

子どもにとって大事であるか、というメッセージを

受信せずにはおれない。

                                                           『あやとりをする少女』。

病床でおままごとをする少女。

『ドミノゲームをする少女』。

『戸外で編み物をする少女』。

『刺繍をする少女達』。

そして、今回のメインを張る、

『髪を編む少女』。

                                                            画を観る者はその画の中の動き、アンカーの画

であれば、子ども達の指先の動きにまずは注目する。

と同時に、脳内のミラーニューロンが発火し、

自分自身がその画の動きをしている状況を

追体験する。

                                                                 私の考える、

長く惹きつけられる画の条件である、

動きがある、もしくは次なる動きを想像させることと、

相手の行動を追体験しその時の心持を慮ってしまう

という2点を十分に満たしているのが、

アンカーの作品達である。

                                                            もっともっと、

たくさんの日本の皆さんの目に触れてほしい。

そして、何にも増して、本展の企画に携わられた方の

ご尽力に深く頭を下げるしかない。

                                                            あなたに会えて、本当によかった。

320

                                                          

2008年6月 7日 (土)

たまには若冲じゃなくて。

6月の初日。

早朝から坐った後は少し歩いて岡崎の細見美術館へ。

久しぶりの若冲だ。

糸瓜、鶏、ねずみさん。

すでに何回か観てきたもので

再会を楽しんだ。

しかし、今回の一番は、何と言っても

鈴木其一の『文読む遊女図』である。

客が帰った朝のひととき。

ほっと一息ついて穏やかな表情で文を読む遊女。

その心持が見事に表現されている。 

                                                              つい、誰からの手紙を読んでいるかと想像したくなる。

フェルメールの『窓辺で手紙を読む女』に

引き寄せられるのと同じ構造である。

                                                            動きがある画、動きを予感させる画は観る者の視線を

釘付けにしてしまうが、

相手の気持ちや置かれた状況を推察させる画もまた

しかりだと思う。

そういう意味で、良い画というのは、

「心の理論」をうまく応用した画でもあると言えるのだ。

                                                                 特に、こういうほっと一息ついている画を観ていると

こちらの気分までほっこりしてくる。

遊女の心持を頭の中で追体験しているのだ。

                                                                そういう気分で岡崎を後にし、

さらにほっこりするために、少し歩いて、

またしても古川商店街の「六花」さんへと向かった。

やさしいトマトスープベースのロールキャベツと

いつもの通りの美味しいコーヒーにさらにほっこりした

ことは言うまでもない。

319

中央線の車内にて、あっ、そうか。

いよいよ水無月となった1日は

早起きして僧堂へ。

坐禅と法話の後は、奥の間で一服。

今月も変わった掛け軸だなぁと思っていたら、

「白隠さんですよ」

といつものように涼しい顔で、老師さま。

                                                                こちらは、またまた、「ひょえ~」と驚いた。

普段はなかなか目にすることのできない、

貴重な禅画がさらりと掛けてあるのもまた、

この僧堂のすごいところ。

                                                           禅問答がそうであるように、

禅宗では、長々としたお説教で相手を諭すような

ことはあまりない。

むしろ、素早い竹刀さばきで、

メーン。

コテ。

という感じで

相手の痛いところをズバッと叩く。

                                                             禅画も同様だ。

色彩のない、墨で描かれた画と賛。

ただ、それだけなのに、記憶にグサリと刻まれる

白隠さんの禅画。

                                                              特に今回の賛は、

俄かに意味がわからないところがよい。

                                                       明頭来や、明頭打。

暗頭来や、暗頭打。

                                                            ざっと調べてみたら、様々な解釈があるようだが、

あまり詳しく調べることはやめておいた。

というか、仕事のどたばたで

そういう時間もなかった。

一週間でとある重要な判断を下さなければ

ならなかったのである。

そういう中でも雑事は沢山わいてくる。

でも、手抜きはできぬ。

                                                             気付いたら、6/7(土)朝7:00だ。

この記事も先週書きかけのままになっていて、

今は中央線の車内で書いている。

                                                         ふと、思った。

この一週間を振り返ると、

とにかく飛んできたボールはどんな球でも

打ち返してきた。

少しはわざと見逃したのもあったけど。

                                                              あの賛の意味が少しはわかった気がした。

あの禅画と賛は、老師さまと白隠さんから

与えられた公案だったのかもしれない。

2008年6月 1日 (日)

冷たいっ カレー天国!その6

あれから、もう一年かぁ。

京都西木屋町、『味味香(みみこう)』さんの

「冷やしきつねカレーうどん」今年も出た!

昨年、関谷江里さんのブログで教えて頂いて

以来、すっかり虜になってしまった。

                                                           しかも今年の08年版は、

鰹と昆布だしが深みを増し、肉と野菜の旨味により

カレーのうまさが倍増!

というではないか。

                                                         早速、実食した。

その宣伝文句は正直そのものであった。

これなら、文句なしでわがカレー天国へ登場だ。

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<快く写真も撮らせて頂きました。麺を少し表に出しておくべきだった・・・>

                                                          細めんに絡むまいうーなカレー汁。

出汁がたっぷりとしみ込んだ、それだけでも十分

うまいお酒のアテになりそうなオアゲ。

ウズラの卵も絡みます。

そこに山椒をぱらぱらと。

しかも冷や冷や。

ビールも、く、く、くいーっと。

暑い時期でも、至福の時が訪れる。

                                                             冷房のない時代、屋台で営業されていた時に

お客さまからの要望でできたメニューだという。

今年は一体何回食べることになるのやら。

すでにもう2回だもんね。

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