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2008年5月

2008年5月31日 (土)

神さまのお酒を頂いた。

土曜日だが、みっちりと仕事。

平日以上に集中した。

これで週明けの仕事がまだ楽になるのだ。

と、自分に言い聞かせて、集中。集中。

                                                         18時にはとりあえず一段落ついた。

いや、つかせた。

淀屋橋から京阪電車へ乗る。

爆睡だ。

起きたら、「次は中書島~」とのアナウンス。

ラッキィ。

下手すれば、「終点、出町柳~」だもの。

                                                              中書島の駅を出ると、

いつものように、この伏見、中書島商店街特有の、

どこか優しく包みこまれるような感覚に浸る。

少し歩いて、GWの園部町での田植え体験でとても

お世話になった、荒玉酒店さんへ。

                                                               日本酒コーナーは、どれもこれもが

飲みたくなるものばかりなり。

悩んだ末に、2本を厳選。

若旦那さんにもお出まし頂いた。

本当に貴重で美味しい体験を、

ありがとうございました!

                                                              今は、その内の一本。

黄桜酒造さんの「伊勢乃 穂明」を飲んでいる。

307

伊勢神宮の「神宮神田(しんでん)」にて

奇跡的に発見された「イセヒカリ」という新品種

から醸された御酒である。

                                                          この品種は「コシヒカリ」からの変種であることが

判明しており、

まさにGod's handによるお米なのだが、

強力な台風にもめげない腰の強さがあるようで、

業界では、コシヒカリの弱点を補う新品種として

注目を浴びているそうだ。

                                                              とにかく、飲み口は優しい。

中書島商店街のように、優しく包み込んでくれる

包容力がある。

加えて、私の口には欠かせない、

米本来の香ばしさもしっかりと、ある。

本当に、カッパッパもびっくりの良い御酒だと思う。

そう、お酒ではなく、御酒とここは書きたい。

                                                             しかしながら、イセヒカリのできた経緯がとても

不思議だ。

積極的に品種改良を行ってできたものではない。

自然に変種してできたのである。

神田だけにさもありなん、という感じはするが、

田んぼの中の何かが遺伝子を変えてしまった

ことだけは確かなのだろう。

イセヒカリについては、今後もう少し調べてみる

ことにしよう。

                                                             なお、この御酒は一般販売されていないので、

飲みたくなったら中書島へ走るしかない。

2008年5月24日 (土)

事実を知ることから初めてもよいではないか。

私が生まれた年から12年前の1956年。

現実に、このようなことが起きていたとは。。。

もちろん、高校の世界史で得た最低限の知識は

あった。

ある程度の想像もしていたが、

地理的にもなかなか関心が及びづらい地域でも

あった。

ハンガリーでの「反ソ暴動」、

否、「56年の闘い」である。

                                                          映画ではあるが、徹底した時代考証がなされ、

戦車と銃にに蹂躙されたブタペストの街並みが

極めて現実に近い形で再現されたそうである。

                                                              街並みだけではない。

火焔にまみれて最期を遂げる女性の姿も

そのように、丁寧に再現されていた。

                                                               一方、情けないが初めて知った現実があった。

ブタペストで建物や人が蹂躙されていた頃、

オリンピックの開かれていたメルボルンでは、

ハンガリーの水球チームが、

ソ連と血みどろの戦いを繰り広げていたのだ。

その戦いは文字通り、血が流れた戦いであり、

ハンガリーが4対0で優勢の中、

ハンガリーのスター選手、エルヴィン・ザドルが

ソ連の選手によって殴りつけられ、

右目下から出血。

場内は観客と警官隊が入り乱れて騒然となった。

                                                              その写真は世界中に流れたというから、

私の両親等は実体験として、

覚えているのかもしれない。

                                                             もうひとつ驚きだったのは、

この事件について、ハンガリーの学校では、

反革命運動であると教えられていたことであり、

事実について公にされたのは、

1989年の共和国宣言の時だったということ。

(本作 公式パンフレットより)

                                                              そういう意味では、私の知識も、恥ずかしい話

たいしたものではなかった。

                                                               高校時代の世界史の教科書を引っ張り出して

みた。

「東欧では、1956年フルシチョフがスターリン時代

の粛清や個人崇拝の誤りを批判すると、

ポーランドのポズナニで自由化を求める労働者

暴動がおこり、

ついでハンガリーではブタペストの反ソ暴動が

全国に広がり、

ソ連軍が介入してこれを鎮圧した」

(新世界史 山川出版社1985)

                                                           本作については、

映画としてどうかという観点からの評価も様々ある

ようであるが、

まずは事実を知ることから始めてもよいではないか。

                                                               神戸、湊川公園の映画館にて、

君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956

を観て記す。

2008年5月21日 (水)

ライラックの小枝

ここ最近、ふと気付くと、ラフマニノフの

「ヴォカリーズ」が頭の中で流れている。

先々週、森麻季さんの歌声で聴いてからは、

なおさらである。

この曲は1915年、第一次世界大戦勃発直後、

ロシア革命の前夜に完成された。

                                                                    本編の中で、この曲は、ラフマニノフが従妹の

ナターシャとともに生家を訪れた折、

室内に放置されたピアノで弾かれる。

この曲を弾きながら、彼はナターシャにプロポーズ

する。

私がナターシャなら、本当に溶けてしまいそう。

                                                             よけいなことはさておき、

パーヴェル・ルンギン監督の

ラフマニノブ ある愛の調べ」を梅田ブルク7で

観てきた。

                                                            監督は、本作があくまで「芸術的創作であり、

史実とは異なる表現も含まれる」ことを強調して

いるが、監督はむしろ、「ラフマニノフの愛、

絶望、恐れ、子供時代の思い出、つまり内面世界

を描くこと」に徹したという。

                                                             久々に、本ブログでボウルビー(Bowlby)を登場

させよう。

彼は、愛着行動が大人にもあるはずだと

唱えていたわけであるが(2007-12-29記事参照)、

エディットピアフにとって、歌うことが「柔らかい布」

であったように(2007-11-3記事参照)

「坊っちゃん」にとって、清がそういう存在であった

ように(2007-10-27記事参照)、

ラフマニノフにとっての「柔らかい布」が何であった

のか。

それが本作の大きなポイントとなっているように

思えた。

                                                                 彼は、上級将校を父にもつ家庭で育ったが、

一家は破産。

恐ろしい夫婦喧嘩をピアノの下に隠れ、

泣きながら耐え忍んだ。

その時いつも横に居てくれたのは従妹の

ナターシャ。

彼女とともによく遊んだ場所には、

ライラックの花が咲き誇っていた。

                                                            恩師スヴェレフの強行な反対を押し切って

飛び込んだ作曲の道。

しかし、その時期に虜になってしまった大人の

女性「A.L.」に捧げた「交響曲第一番」は、

酷評されて、彼女もラフマニノフから

離れて行った。

失意のどん底に落ち、心の病になってしまう

彼を救ったのは成人になっていたナターシャ

であった。

そして、「ピアノ協奏曲第二番」が完成し、

大成功を収めた。

                                                            ロシア革命後、アメリカへ亡命してからは

生活のため、演奏旅行に明け暮れた。

映画の中では、機関車の疾走する映像と

ともにラフマニノフの曲が流れていたが、

まさにそこには、tristesse allante、

「疾走する悲しさ」が宿っていた。

やってられないと腐りかけているところに

届いたのはライラックの花束。

この花の香りをかぐだけで、見違えるように

復活してしまう。

いつの間にか、誰からかわからないが、

彼の演奏会には必ずライラックの花束が

届けられるようになっていたのだ。

                                                     いつの日か、ライラックの花束を横において

ラフマニノフの曲に聴き入ってみたいと思った。

                                                              本作、ロシア原題は「ライラックの小枝」である。

2008年5月17日 (土)

ウルビーノのヴィーナス

東京で時間が空いた。

さて、どうしようか。

そういえば、ヴィーナスは、いつまでだっけ?

うん。18日(月)までだ。

しかも金曜日は夜8時まで。

                                                                 というわけで行ってきたぞ。

ウフィツィ美術館蔵のウルビーノのヴィーナスだ。

今回は「美の女神、大集結。」と銘打つだけあって、

多くのヴィーナス達と会ってきたわけだが、

ウルビーノの彼女は、ひときわ人間の女性に近い。

彼女の横には、おきまりのキューピッドもいないので、

視線はこちらを見つめている。

ふと、話しかけてこられるかのような錯覚に陥るほど

である。

                                                              この絵については、色々な解釈がされているそうだ。

詳しく調べたこともないが、

私はこう思った。

彼女が横たわる部屋の奥では、女性(侍女との解説

があった)の一人が長持の中から何かを出そうとして

いて、

もう一人の女性が、洋服を肩にかけながら、

その様子を立って見つめている。

しかし、私はその女性2人は侍女ではないと思う。

そのわけは、、、

                                                              この絵の中で、「動き」があるのは、

ヴィーナスではなく、

むしろその奥の部屋の侍女の様子である。

観るものが自然と目を惹きつけられるそこにこそ、

この絵の解釈のポイントが秘められている

のではないかと思うのだ。

                                                            侍女の一人はあきらかに立っている女性よりも

小さい。少女である。

その少女こそ、これまでのヴィーナスだったのだ、

彼女は着るものを探しているが、

それは彼女が最適な伴侶を探していることを暗示

させる。

隣にいるのはそれを見守る母。

「違うの。違うの。私が着たいのは、

これでもなくて、あれでもなくて・・・

うーん、どうしよう?」

「早くしなさいよ」

ってな感じの会話が私には聞こえてくる。

                                                            そして、いまやっとその伴侶が決まり、

彼女の前にやってきたのである。

眠っている犬は、忠誠心と、貞淑を乱さんとするもの

に勇敢に戦う象徴である犬が、

心安らかな状態にある、

すなわち彼女の心がそういう意味での準備が

できたことを意味する。

                                                               そしてこの絵は、新しく生まれた夫婦に贈られ、

新居に飾られた。

                                                            ということでいかがでしょうか。

ティツィアーノさん。

きっとこの絵の解釈に唯一の正解というものは

ないような気がする。

さまざまな解釈を楽しむために描かれた絵。

そんな気がしてきた。

だって、美しい絵は難しい解釈論争をしても

楽しくない。

もっと楽しまなくちゃ。

                                                                 というお気楽気分で楽しんだ金曜日の夕方となった。

さあ、会場の東上野へ向かおう。

美味しい焼肉と若手のみんなが待っている。

Photo

2008年5月13日 (火)

母の日に。

雨は上がった。

開演まで時間があるので、

下鴨本通のCaffe Verdiさんで、

下鴨ブレンドとビーフパストラミのホットサンドを

頂いた。

こちらのコーヒーには、宝石の輝きを思わせる

繊細さがある。

ホットサンドイッチは包みこまれた肉汁と

温められたトマトの汁が渾然一体となって

口の中で踊り出す。

この予定調和がたまらない。

                                                               いやいや、残念ながら、

今日はいつものように、

ここでゆっくりしているわけにはいかないのだ。

京都コンサートホールへと向かう。

                                                             半年ぶりに、森麻季さんの歌声を聴いた。

2階席前方で距離も近い。

                                                                 その声は、

まろやかさを増していた。

深みも増していた。

大地のような、安定感も。

                                                             もちろん、森さん独特の澄み切った、

清らかさも残しつつ。

                                                             しかし、 ここまで変わるものか。

                                                              曲がどんどん進んでいく。

特に今回は、マーラーの4番「天上の生活」と、

ラフマニノフの「ヴォカリーズ 作品34-14」に

聴きほれた。

聴くことに没頭しつつも、

時間が進むことを止めたくなる衝動にかられる。

                                                             今日は、5月11日。

母の日である。

森さんにとっては、初めての母の日なのだ。

そして、

今日の演奏は独唱ではなかったのだ。

新しい命とともに紡いだ合唱だったのである。

                                                             ホールを出て、北山を吹く風はとても心地よかった。

2008年5月 7日 (水)

園部町で田植えをした。

恥ずかしながら、この歳になって生まれて初めて、

本当の田植えを経験させて頂いた。

今は昔、小学校内のコンパクトな田んぼでの

経験はあるにはあったが、

本格的な水田での経験はなかったのだ。

                                                           いやはや、まさに「水田」である。

この時期、新幹線からみえる美しい水田を見て、

「瑞穂」の国だなぁ、なんて思っていたけど、

ここまで水が張っていて、

ここまでのぬかるみとは思ってもいなかった。

蛙も蛇も泳いでいた。

アメンボもすいすいと。

とんぼだってその上をすいすいと。

その横を流れる川には、カワニナが沢山。

それをエサにするホタルの幼虫も。

その時期のホタルは確かにすごいらしい。

                                                               その場所は、京都府南丹市園部町天引(あまびき)。

植えた苗は、酒造好適米の「五百万石」。

京都伏見の荒玉酒店さんのホームページで、

「自然酒を造る会」と松本酒造さんによる、

「田植え体験」を知って、あつかましくも

参加させて頂いた次第である。

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植えられた直後の苗。 

手前の苗の数が多すぎなのはご愛嬌。

                                                               この苗は今秋には収穫され、

伏見の松本酒造さんで醸造され、

「自然流 天引」というお酒になる。

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                                                              今はその天引を頂いているが、

飲み始めのフルーティな感じだけはなく、

後味としての若干の苦味を感じることができる。

だからと言って、いやみな苦味ではなく、

お米の穀物としての香ばしさを自然に表現している

しっかりとした苦味であり、うまい。

芳醇端麗に撤した純米大吟醸にはない、

男らしさ、男くささが、そこにはある。

こういう酒こそ、私の好きなタイプなのだ。

                                                               このお酒、「自然酒を造る会」のお酒屋さんの皆さん

の取り組みで生まれたもので、

この自然豊かな園部町天引の地にて、

減農薬、有機栽培で丹精込めて造られた

「五百万石」を、

伏見の松本酒造さんが醸されたものである。

                                                           今から収穫の秋が楽しみでならない。

もちろん、それまでにはお米を造られる方の

並々ならぬ努力が必要なのだが、

ぜひ収穫にも参加させて頂き、

そのお米で醸された「自然流 天引」を絶対に

飲むねん。

                                                              とにかく、今回ご縁を頂いた荒玉酒造さんの

若旦那さま。

そして、当日のご準備や対応を頂いた

「自然酒を造る会」の皆さまには、

本当に本当に頭を垂れて感謝です!

川べりでのバーベキュー、

釜で炊かれたご飯も香ばしく最高でした!

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2008年5月 6日 (火)

不矩

4月27日(日)。

まずは腹ごなしに、河原町今出川へ。

インド料理の『グルバブ』さんへ。

ご主人はカルカッタのご出身という。

丁寧に香辛料を使っていることがよくわかる

カレーを堪能した。

ナンのモッチリ感も、とてもよし。

                                                            おなかを満たして、岡崎へ移動。

青空に平安神宮の朱色の鳥居が映える。

その遠くでは、比叡の山が笑っている。

頬に触れる風も心地よい。

そんな穏やかな心持の中、

朱色を横目に見ながら、京都国立近代美術館へ。

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向こうには比叡を望む

                                                お目当ては、生誕100周年記念の

秋野不矩展』である。

                                                              まず、目についたのは最初の方に展示してあった

不矩氏25歳の時の作品、「朝露」(帝展出品作)。

赤ん坊を抱いて朝顔を見つめていると思われる

若い母親の後姿である。

顔が見えない分、その絵を観る者は自然と、

この母親は何を考えているのかと想像してしまう。

朝花開いた朝顔を自分の赤ん坊と重ね合わせて

喜んでいるのだろうか、

それとも、遠い地にいる夫は、一体今頃何をして

いるだろうかと案じているのだろうか、と。

いずれにせよ、その背中にはどこか凛としたもの、

一本筋の通った力強い意思のようなものを感じる。

                                                             次に印象深かったのは、水牛の渡河を描いた一連

作品(「渡河」、「帰牛」、「ガンガー」・・・)。

角をもった水牛が黙々と河を渡っていく。

河の流れに負けることなく、

ただ、ひたすら渡っていく。

そこには、上記初期作に感じたのと同様の、

力強い意思を感じる。

不矩氏自身の意思がそこに現れているような気が

してならない。

                                                            氏は、若い頃官展への出展を続けていたが、

1948年に脱退。

そこには、これから赤ん坊を育てる母親のような、

流れの速い河を黙々と渡る水牛のような、

力強い意思が働いていたに違いない。

                                                          さらに、心動かずにおられなかったのは、

絵というよりも、晩年の氏の旺盛な行動力である。

上記の水牛の作品も、それぞれ、

84歳、87歳、91歳の時のものである。

脱帽するしかない。

                                                                 そういえば、今日の昼ごはんは、インド料理であった。

これも何かのご縁かもしれぬ。

インドのスパイスの残り香を口の中でかすかに

感じつつ岡崎を後にして、

古川町の六花さんで美味しいコーヒーを頂いて

一休み。

                                                         不矩氏の言葉を改めて噛み締めつつ。

                                                   「私は日頃思う、頭で考えるより体で行う中で識ろう、

インド人がはだしで土を踏む様な心で絵をかこう。

雨が降ればぬれて当たり前、

海洋の人々が波濤を頭からかぶって平気な様な

気持ちで、

凡てを享受しておそれない心で絵をかき度い、

祈りながら。」

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